「心真一如」ということばがある。
「心と身は一つのもののごとし」である。
「心身不二」ということばもある。
「心と身は二つのものでない」という。
「一如」は辞書では「二つにわかれないこと」とある。
「一如」も「不二」も同じ意味になる。
だが一如・・・一のごとしだとは心と身の間に距離感・時間差を感じる。
不二にはされはない。
合気の先生が合気の会得に「身体の変換が必要であると書かれた。
これはいままでいわれたことがないと思う。
新しいキーワードである。
身体の変換=心の変換だろう。
見えない心と見える身体が一つのものというのもわかりにくい話ではある。
身体が動くとそれにつれて動く別の身体がある。
心が動くとそれにつれて動く身体がある。
だがそれは別の身体であって心ではない。
別の身体、別体もあると書くとさらに複雑になる。
「呼吸は見えないこころと見える身体を繋いでいる架け橋であり、身体は見えないこころ(内的環境)と気候風土(外的環境)の表現体である。」とHPに書いている。
身体の状態、それは姿勢であり重心である。
そして常に力みのない身体を維持し続ける身体ということであろう。
力みのない身体とは心が出しゃばらない、つまり感情や意志・意欲に動かされない身体ということになろうか?

