戦わずして勝つ

「戦わずして勝つ」あまりにも有名な孫子の兵法に出てくることばです。
織田信長に首を取られて負けた今川義元が、これの類稀な手腕を持つ名手だったそうです。
今川義元のマンガ売れているそうです。

先日のNHKの「知恵泉選「今川義元戦わずして生き残る極意注目の新資料」を見ました。
あの戦国時代にあって戦わずして生き残るとは?
有名なあの桶間の戦においても、そのはるか以前より入念な準備を整え出発した筈だったのです。

甲斐の武田家と敵対関係にありましたが、政略結婚を決意し武田信虎の長女を正室として迎えた。
これに怒ったのが北条家、今川家とは良好な関係にあった北条方に攻め込まれ領土を取られてしまいます。
そこで義元は満を持して挙兵、奪われた領土を取り戻し、そこから北条の領土には攻め込まず和睦してしまうのです。
戦わずして生き残る知恵の1、「相手のプライドを傷つけるな」

今川の領土であった土地を取り返した時点で和睦を申し入れてすんなりと以前の友好状態を取り戻した。
さえあには、長年敵対関係にあった武田を加え武田・北条・今川の三家を結んだ三国同盟に漕ぎつける。
武田は敵対関係にあった上杉との戦いに専念できるし、同様に北条も似た状況にあった北条も同盟に賛成した。
義元の息女が武田家へ嫁ぎ、その見返りとして武田家の娘が北条家へ嫁ぐ、さらには翌年北条家の娘が今川に嫁ぐということで強固な同盟となった。

戦わずして生き残る知恵その二、「相手が大切にしているモノを見極める」
長年不安定であったこの地に安定をもたらしたのである。
そこへ織田と対立関係に三河の松平家から応援の要請があった。
「義元はこれを機に人質を嫡男竹千代(家康)を要求され、11年におよぶ人質生活を送ることになる。」これが従来の定説である。
ところが新資料からすると、松平家は既に人質として竹千代を織田に差し出していたらしい。

三河を支配下に置きたい義元は人質奪還を狙って出兵した。
織田との正面衝突避け、織田の嫡男が城主をしている城を攻め信宏を生け捕りにし、信宏と竹千代と交換することに成功します。
竹千代の後見人ということで三河の支配をやっていきます。
家康はこの間に義元の考え・行動・戦略等をつぶさに学んだに違いない。

戦わずして生き残る知恵その三「相手の戦意をそげ」
あおの桶間の決戦においても用意周到な準備をしておったといいます。
尾張を強国に育て上げた織田信秀が死ぬとご存知の信長と弟の信勝の相続争いが始まります・
織田家の有力の家臣達を調略で寝返らせ、圧倒的な大軍二万五千の大軍を率いて出陣します。
義元は足が短いので馬に乗れなかったから輿に乗ったといわれていますが、これが違うといいます。
ある身分以上の人だけが輿に乗れたというのです。俺はこんなにえらいのだと見せるための輿だったというのです。

戦国武将ならば、みな「戦わずして勝つ」ことを目指していたtでしょう。
秀吉だって「鳥取城の渇え殺し」「高松城の水攻め」がありますし、島津攻めではそれこそ圧倒的な軍勢を見せつけ戦巧者の島津を屈服させています。
さらには北条攻めでもそうです。推定21万人も動員したそうです。
秀吉が武田信玄と上杉謙信が戦った川中島を訪れたとき、「ハカのいかぬ戦をしたものよ」といったという。



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