【世界最強だった日本軍航空部隊】B29爆撃機を485機も撃墜した本土防空部隊

 「戦争末期の日本は、7000~9000メートルの高高度を大挙して押し寄せるB29に手も足も出せなかった」と聞いていたが実はそうではなかった。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160623/dms1606231550005-n2.htm

1942年4月に新たに編成された日本陸軍「飛行第244戦隊」は、東京・調布基地を拠点に帝都防空戦に大活躍した精鋭部隊である。保有機は40機の三式戦闘機「飛燕(ひえん)」だった。

 この部隊に44年11月、24歳の小林照彦大尉が戦隊長として着任した。小林氏は後に、B29爆撃機10機を含む、敵機12機を撃墜した「本土防空戦のエース」となる。同隊は翌12月、B29の大編隊を迎え撃ち、6機撃墜・2機撃破の大戦果を上げた。

 このとき、四宮徹中尉は、B29への体当たり攻撃で片翼をもぎ取られながらも無事帰還した。中野松美伍長は、B29の真上に張り付く“馬乗り”の姿勢で、B29の胴体をプロペラで切り裂いて撃墜し、生還した。板垣政雄伍長も、最後尾を飛んでいたB29に体当たりして帰還した。

 この日の武勲により、空対空特別攻撃隊は「震天制空隊」と命名された。その名の通り、B29の乗員を恐怖に陥れる一方、日本国民の戦意を高揚させた。

 B29は11人の搭乗員を乗せている。従って、1人乗りの「飛燕」が体当たりして撃墜すれば、11倍の敵と刺し違うことになる。当時言われていた「一人十殺」は単なる掛け声ではなかった。
「戦争末期の日本は、7000~9000メートルの高高度を大挙して押し寄せるB29に手も足も出せなかった」とばかり聞いていたが実はそうではなかった。夕刊フジの記事である。

 先の戦争におけるB29の被害機数はあまり知られていない。本土空襲にきた約3万機のうち、何と、陸海軍の本土防空部隊によって485機が撃墜され、2707機が撃破されていたのだ。

戦争末期の日本は、7000~9000メートルの高高度を大挙して押し寄せるB29に手も足も出せなかった-という話が横行しているが、そうではなかったのだ。帝都上空では、飛行第244戦隊が立ちはだかった。

 戦後、前出の小林氏や、専任飛行隊長の竹田五郎大尉、B29を5機撃墜・7機撃破した撃墜王、生野文介大尉など、本土防空戦に活躍した面々は、航空自衛隊でも本土防空を担った。

 ちなみに、竹田氏は1976年9月、ソ連のベレンコ中尉が亡命を求めてミグ25で函館空港に飛来したときの北部航空方面隊司令官だった。このとき的確に対処できたのは、かつての本土防空戦の経験からだろう。

 竹田氏はその後 第14代航空幕僚長となり、さらに自衛隊制服組のトップとなる第12代統合幕僚会議議長を務めている。

 戦後の日本の空も、飛行第244戦隊の精鋭によって守られていたのであった。 2016.06.23




  いろんな治療法やら運動法があります。         
 それらがあなたのお身体に合っているでしょうか? 

 合っていれば少し宛日々改善されていきます。
 合っていなければ日々身体は固くなりゆがんできます。         
 
 その効果を確認する方法をお持ちでしょうか?           
 症状に合ったエクササイズとそのチエック方法を呼吸塾ではお伝えしております。
  


語りと朗読の会  「宮沢賢治を語らう」  

宮沢賢治の作品を台本として発声・表現・語り・朗読について勉強しています。
月二回木曜日10時~12時 

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)