目につくものになんでもいいから感謝する

あるとき、見慣れぬ衣装を身につけたひとりの患者が医師の所にきました。
オーストラリアの先住民族のアボリジニーの酋長(しゅうちょう)でした。

医師が問診をはじめようとすると、彼はそれを手で押さえ、こういったのです。

「このままでいいです。お医者さんは人を癒すのが仕事ですから、ここで私といっしょに祈って私を癒してください」

内科医であるその人は唖然としました。
酋長は、静かに目を閉じていましたが、しばらくすると医師をじっと見つめ、続いてゆっくりと、部屋のもののひとつひとつに目をとめていきました。
医師は、どう対応したらいいのか考えているうちに、彼のあまりにも敬虔なまなざしに胸をうたれ、ただ彼のなすに任せていました。
はじめは戸惑い、何か医者らしいことを言わなければと焦った医師は、 不思議なことにいつのまにかこころが落ち着き、酋長とふたりきりで黙って座っているのが、心地よく感じられるようになったのです。
20分くらいたった頃でしょうか、酋長は、
静かに立ち上がると深く頭を下げて、部屋から出て行こうとしました。
はっと我に返った医師は、彼の腕をつかみ、もう一度椅子に腰かけるように促しました。
素直に腰かけた酋長に医師は尋ねました。

「ここへ何しにいらっしゃったのですか」
『癒していただきに・・・』
「あなたは何をしていたのでしょうか」
『祈っていました』
「何を願って祈っていたのですか?」
『何も願いません』
「でも、祈ったのでしょう」
『はい、祈りました。
私たちにとって、祈るとは、願いごとをすることではなく、ただ感謝することです。
目にとまったものを、ひとつずつしっかり見つめ、それを存在させている大いなる方に、感謝することです。
大いなる方につながっているようになるまで、感謝するのです。』
「それで癒されたのですか?」

『はい、大いなる方とのしっかりしたつながりを実感しましたから』
酋長は立ち去り、病院に2度と現われることはありませんでした。

『目につくものになんでもいいから感謝する』
このアボリジニーの酋長を見て感じたのは、
存在(being)が経験(doing)に先立ち、経験を生み出すという真実は変わらないということです。
要するに、「まわりの現実(条件)が○○になれば自分が幸せになる」
という生き方ではなく 「幸せな自分が○○を創造していく」 (Being) という生き方へシフトしていくことが 大切なのかもしれません。
奇跡がないことが奇跡であるという事実、「当たり前」なんて何1つないということに気づいたとき、僕達は 自分自身の深い部分とつながっているんですね。



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