語りと朗読の違い

「語りと朗読はどう違うのですか?」と聞かれることがあります。
「語りも朗読もことばの持つパワーやエネルギーを伝えるものであって、区別する必要はないと考えています。
ことばというものを追求していけば同じ到着点になると思います。」と答えています。

ところが現実に、語りといい朗読といい、別々のもののごとくやられています。
それはアナウンサー系の先生についたか、演劇系の先生についたかによるようです。

アナウンサーは事実を正確に伝えるという役目があります。
演劇系になりますと文学作品の表現ということになります。
その違いからだと思うのですが、文学作品を朗読していて平板に平板にと指導されたと聞いたことがあります。

先日聞きに行った朗読の発表会でもそうでした。
平板過ぎて全然面白くありません。
終わっても印象が全く残らないのです。

それでもセリフの部分は兎も角、と書きの部分は表現というものがなく平板そのものでした。
現実に今もそういう指導がなされ公演されていることに奇妙な違和感が強く残りました。

ある程度の声は出ているのですが、それ以上は出さないようにしているのかもしれません。
同じ速度・同じ大きさ・同じパターン、この辺は表現の平板さと合わせて、アナウンサー系の問題点と思います。

事実を伝えるのであればそれはそれで必要なことでしょう。
事実を伝えることと感情表現をゴッチャにしているようです。

役割が違うのですから切り分けて表現が必要でしょう。
その辺が曖昧というか、錯覚・誤解があると思います。
だが、文学作品であれば、作者の意図あるいは語り手の感情で伝える必要があるでしょう。
どこまで伝えるかということがありますが、画一化・平板化されることはなくなって来ると思います。

筆者はお腹から大きな声を出すようにといっております。
日本語にはからだことばというものがあります。
内なる感情をからだを使って表現したものです。

「腹構え・腹が大きい・腹の虫・腹が立つ・腹を割って話す・はらわたの腐ったヤツ・はらわたが煮えくりかえる・
断腸の思い・・腹の内・腹芸・腹の探り合い腹黒い・腹積もり・腹が膨れる思い・腹いせ・腹八分」
お腹から出す声というのはこれらのエネルギーも伝えるものになると考えています。

最後に講師の方がやられました。
きれいな声で実に聞きやすい声でしたが、フレーズ・フレーズが同じ繰り返しに聞こえてきました。



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