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意識を置くところ

「肩車 パパの耳は 操縦桿」という川柳がありました。
肩車したお子さんが耳を引っ張って行く先を指示している微笑ましい光景です。

頭は身体の最上部にあって5キロもあるといわれており、細い首の上に載っかっています。
わずかの傾きで全身が影響を受け背骨も曲がってきます。
これが求心性つまり重力の働きです。

一方、人間は二本足で立ちわずかな足裏の面積で全体重を支えています。
この支える力は地球の自転の力、つまり遠心性のちからなって全身に及びます。

この三次元世界にあっては、この求心性の力と遠心性の力の二つによって表現されているわけです。

昔は姿勢のことを両親や学校の先生がうるさくいっていました。
いまはほとんどいわれなくなっていまいました。

躾は日本で作られた文字ですが、筆者は「しつづける」それが躾といっています。
そうしなければ身につかないからです。

昔の人の写真を見ると大久保利通のようにいい姿勢もある。
ところが逆に背中が丸くなった写真も多い。

ダビテの像を見て育った目には一見、丸くなった背中は×に見える。
だが最近は丸くなった背中にも二通りあると考えるようになった。

だらんと力を抜けた姿勢と背筋に少々張りを保たせた場合の二通りである。
この背中の張りの持たせ方によって腰も腹も決まって来るようなき気がしている。

重心が丹田に収まり自然に意識がそこに行く感じがする。

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