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脳の記憶・身体の記憶ー2

以下はミクシイに書いた日記である。
『ブログに「脳の記憶・身体の記憶」というテーマで書いた。
前に日記でも書いた。

身体は常にベストを目指す。
脳の記憶は常に古い。

従って脳と身体の乖離は常に生ずる。
その隙間を埋めるには「その状態見る・見続ける」こと。

常に埋まりきることはない。
埋まることはないにしても溝が大きくならないと思う。

躾は「しつづけること」といったら、それ使わしてくれといわれたことがある。
「見続ける」と何かが「見つかる」ようである。

身体は常に変化する、脳ー記憶は古い。

「わからない状態」は自動的に「見続ける状況」を作り出す。
そうするとわからないということは忌避するものにあらずして、むしろ逆に歓迎するものになる。』


見続けることによって何かがみつかる。だがそれで解決、めでたしめでたしにはならない。
常にそれは発生しつづけることでもある。

合気の稽古を復活させてから、それの連続だったような気がする。
合気上げの稽古で受けが先に上手にんってくる。

それは受けを取っている心身の状況は「待ちの姿勢」自分は何もせずただ待っている。
この余計なことをせずただ待っているだけ。

これは他の雑念の入り込む余地があまりない。
見続けている状態と似ている。

見続けるといっても凝視することではない。
昔、精神藤一法の一つとして一点を凝視するということをやったことがあるが、そういうものでない。

ボーっとしてみる。自然と「観の目」になっているらしい。


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