O157超える強毒菌

O157超える強毒菌、国内で2例検出
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20070429i301.htm

「北米地域で集団感染が相次いでいる死亡率の高い強毒型の腸炎細菌を、国立感染症研究所が国内の患者2人から検出していたことがわかった。

厚生労働省は、国内の医療機関での流行を防ぐため、各医療機関に院内感染防止の徹底を指示、今後、国立感染症研究所を通じて、国内の発生状況の予備調査を行う方針だ」

消化器系の病原菌であれば食事の前後1時間水分を入れない、これだけでいい感染は防げる。

5年前にHPの方で紹介した。以下その再録である。
『伊藤圭一という小説家の作品に「かかる軍人ありき」がある。

実話にもとづいている。そのなかに太平洋戦争が終わって中国にある軍隊の引き上げ時のの話である。

医薬品の欠乏のなかにあって赤痢やコレラ等の伝染病をいかに防いで無事日本に引き上げるかが大きな問題であった。

食養を学んでいた沼田軍医の提案で食前一時間、食後一時間は水を摂らないことが軍命令として出された。

結果その部隊では一人の落伍者もなく全員無事引き上げてきた。これほどまでに徹底して守られた軍の命令は無かったであろうと結ばれている。

水分を入れないことで胃液が薄められず、赤痢菌もコレラ菌も胃液の強酸性で溶解されてしまうのである。この沼田軍医は今も日本総合医学会の会長としてご活躍されている』

沼田医博は現在NPO法人日本総合医学会永世名誉会長である。



鉛直センサー

数年前、胸の中央鳩尾のあたりに垂直計のアイデアを考えた。その後も垂直計のアイデアは出たり消えたりしていた。

魚釣りのウキみたいなものを鳩尾あたりに考えた。HPに書いた記憶があって探したがみつからない。このアイデアも鳩尾あたりが前方に出た感じの時は働きが悪くなる。

イメージ力を先日書いた。イメージで自分の身体バランスを整えられる。ぶつからない力の稽古に参加されている方ならばイメージすれば歪みは取れてくるだろう。

メカノレセプター(機械刺激受容体)なるものがあって瞬時に適切な姿勢制御を行っているという。関節や腱に多いとかいうが多分、人体の全細胞が関与しているのではないか?

簡単にいえば鉛直センサーである。人間は直立二足歩行を選択したので、この鉛直センサーが他の動物以上に発達したと考えている。

足裏・関節・筋肉等は当然そのセンサーは多く存在するだろう。それと身体の中央部もそうだろう。

イメージすれば身体バランスは回復すると書いた。例えば「髪の毛を上に引っ張られる感じで立ちなさい」といういい方がある。

このイメージで頭頂部が鉛直センサーになる。顎もそうだし鳩尾のウキ・膝、どこだって意識すれば鉛直センサーになる。

鉛直センサーが働けば身体のバランスは回復してくる。
力みや緊張はこの働きを阻害する。



薬指は薬の指ー2

薬指は薬の指を書いた。薬指は不思議な指である。漢方でいうと三焦経、エネルギーの経絡になる。

この薬指を曲げてのぶつからない稽古で実験である。曲げる角度によって効き方が異なるらしい。人によって曲げ方が各自違うので利き方もバラバラの結果となった。

軽く曲げればOOさんのいうように一瞬で身体を変えられる「薬指スイッチ」となる。

稽古の後でいろいろ試してみた。右手の場合と左手の場合で利く角度が違ってくる。

筆者の場合は左手が利かせやすい。右手だと緊張が入りやすく緊張すると利かなくなる。薬指の屈筋側を緊張させるのもよくない。

薬指を軽く曲げているだけで身体のバランスが整ってくる。歩くときは薬指を曲げて歩いていれば疲れにくくなるだろう。

均整亀井進の書によれば第3関節(爪のところ)から先を軽く引っ張りさすっていると口の形が変わり唇に弾力がつくという。

また薬指をさすっているとその側の血液の循環がよくなって、その半身がポカポカしてくるといっている。

筆者の左足の冷えが改善されてきたのも薬指をあれやこれやいじっているからかもしれない。


鎖骨が水平になる

4/26、礼法教室に参加されたOOさんの両肩に目がいく。今日は両肩がやけに降りている。背中はほんの少し丸みを帯びている。

いままできれいに伸びた背中になったと見てきたが、それは作った物だったのであろう。その緊張が取れたのだ。

ここまで肩が降りているならば鎖骨が水平になっているに違いないとチラチラ観察するとやはりそうだ。鎖骨が水平になっている。

3年前に「鎖骨が水平になる」4編をHPに書いた。

鎖骨が水平な方は滅多にいない。鎖骨は呼吸と密接な関係を持っている。左右水平であるということは、身体に歪みが少なく呼吸がおだやかであることの証明である。

逆に肩が水平という方はよく見かける。肩が上がっているということは息がよく入らない、息苦しい生活を送っていると見ている。

彼女は腰痛持ちだった。それから膝にきた。だが礼法教室にはほとんど休まずに出席されていた。稽古がきつくて途中で足を投げ出して休憩しながらもよく続いたものだ。

ここまで鎖骨が整ったら腰痛・膝痛も消えたはずだと確認したら今までになく楽である由。そうだろう・そうだろうと筆者は一人で満足。

筆者の鎖骨もほぼ水平である。「どうだ!」一人で悦に入っている。筆者も嘗て苦しんだ腰痛・膝痛はここ10年以上出ていない。


過酷な戦場を生き延びた戦闘機乗り

歴史群像という雑誌がある。戦記専門の雑誌である。

その雑誌に海軍予備学生第13期の方のことが載っていた。それまで毎年100人ぐらい取っていたのが昭和18年5000人採用、その中のお一人である。

太平洋戦争末期、飛行機乗りの命は儚いものであった。技量未熟なパイロットの実戦投入・編隊空戦を挑まれることによる数的不利などいくつもの条件が重なることで日本軍機の消耗率は急速に高まっていた。

訓練期間を経ていざ戦場に赴くと訓練で教わったことが全く使い物にならなかった。

ゼロ戦は優れた戦闘機である。だがその頃になるアメリカ軍の飛行機も進歩しゼロ戦対策が出来て編隊で戦うようになっていた。

戦争初期ではゼロ戦の旋回能力は抜群に優れていたので敵機に後ろに付かれても「ひねり込み」宙返りで逆に敵機の後ろにつけることが出来た。

訓練では「ひねり込み」の練習を猛烈にやったが全く使うことはなかった。1対1の空戦ならばそれで優位に立てるが、アメリカ軍はレーダーに誘導されて高度8000・6000・4000で編隊を組んで待ちかまえている。最適高度6000で飛んでくるゼロ戦を上下で挟み撃ちにする戦法だった。

旋回計の真ん中のボールが真ん中にして飛ぶことを叩き込まれた。それは敵機を攻撃するときに狙いを外さないためである。

ところが逆に敵機に後ろに付かれたら、もうどうぞ打ち落として下さいといわんばかり、初戦で戦死することになる。実際、緒戦で戦死する戦闘機乗りは非常に多いという。互角の勝負で始まる空戦はほとんどなく常に不利な体勢から始まることを覚悟しなければならなかった。

戦場では真っ直ぐに飛ぶなんてことはほとんどなかった。敵機に後ろに付かれたら、真っ直ぐに飛ばず横に滑らせることで対応していた。

自分の部下に教わってこの飛行機を滑らせるをやったら強烈な横Gで側壁に叩きつけられたと書いている。機会あるごとにこの横滑りの練習を重ね過酷な戦場を生き延びて無事生還を果たしている。

「俺は運がよかったんだ」という。だが運だけではあるまい。彼の持つ謙虚さと勘というか感性というか、そういうものの力があったに違いない。


歩く練習が必要です

礼法教室で「右肩が前に出なくなりましたね」といわれた。
自分では気が付いていなかった。

筆者はがに股O脚だった。右利きである。
どうしても右側に負担が多く掛ける。それで右前重心になりやすい。

そうすると右足を外に向けて歩くようになる。さらに進んで外反母趾になったと思っている。そのO脚は改善されてきている。

一直線平行歩きを心がけてきている。礼法の稽古は月に2回のみである。普段の生活にいかに取り込むかに掛かっている。

小笠腹流礼法の稽古はもっぱら、立つ・座る・歩くである。

歩き方で斜め45度で歩くのがある。前後の歩きと横の歩きと斜め45度の歩きがある。

出るときは踵から膝を伸ばして歩く。「楽に動けたら甘くなっているんですよ」といわれた。

確かにそうだ。きっちりと丁寧に決めて歩く。その繰り返し以外にない。
膝が伸びていないとゆるむ。足先が前を向いたいないと崩れる。

だけどよくこんな練習方法を考えたものだと感心してしまう。


内ももに引き攣れたような痛み

バレエをやっていた20代の女性、足を外側に上げると股関節から太もも内側が痛いという。

痛められたから4年たっているんですよね。
そしたら医学的損傷は多分なくなっているだろうと思います。

多分痛めたときの後遺症といいますか、筋肉に記憶が残っているのではないかと思います。

これに対してはボクの経験からですが、徐々に動かして身体を慣らしていく以外にないでしょう。

「外またで立って横に脚を上げると、90度ほどで内ももに引き攣れたような痛みが走る」由。

立って足を内側方向に足を上げるのは全然違和感がないはずです。そのポーズで30回くらいゆっくり呼吸を行う方法を試してみてください。

終わったら今まで痛かった方向に足を上げてみる。少しでも楽に動けたらOKです。あとは続けるだけです。背骨の曲がりならば余程重症でない限り自分で修正できます。

やりかたは前方に一直線を想定し、その直線に添って足の内側を合わせて歩くだけです。

背骨を見られる方がいればやる前とやった後で比較すればすぐ結果は出ます。


イメージ力

「老人力」が1998年流行語大賞となった。以降、柳の下のどぜうをねらって「OO力」という本が何冊も出た。最近では「鈍感力」である。

筆者は「イメージ力」を主張したい。意識やイメージはアバウトでいいんだ。身体の方から入るとキッチリやらないとダメだという。

ぶつからない力の稽古やっていると、こちらの考えていること・イメージしたことに相手が反応することがわかるようになってくる。

司馬遼太郎の作品に「果心居士の幻術」というのがある。この幻術の類も実際にあったのではないかと思われてくる。バラモン僧の血を引く、果心がバラモンの楽をやっている内にバラモンの呪法を身に付ける。

人の心を読むのがうまく、自分の存在を消したり・本人の気がつかないうちに首を切り落としたり奇妙な術をつかう。松永弾正の悪人面が気に入り彼の近辺に住み着いたり情報を提供したりしていた。

弾正没後、筒井順敬ととに秀吉に謁見する。秀吉にその奇妙な術を見せろと命じられて昔、秀吉が戦場で犯した女の幻を出現させる。その幻は秀吉だけ見えて他の人には見えなかったが、秀吉は恐怖心で恐れおののいたという。

「何も考えない」と、紙に書いて立位体前屈をすると余計に曲がるようになるという一見奇妙な現象がある。

「脳を空っぽにすると技になる」をミクシイに書いた。脳は思考するということが役目である。だが身体にとってそれはストレスとなる。

ところが呼吸も姿勢も関係なく脳を空っぽに出来る方がいる。
筆者のの存在を完全に意識から弾き出してしまうと技がかかるようになっているという。

他にもイメージを使うのが抜群にうまい方がいる。イメージした途端にそれが技になる方がいる。

筆者はこっちの方は不得意だった。十次式健康法の真似事をやったり、瞬間バランス法をやったりしている内にイメージすることもだいぶ上達をしてきているらしい。

自分のバランスを整えるのにイメージを使うと早い。そのバランスがどのくらいキープ出来るかは別にして瞬間に出来るようになった。

「意識はアバウトでいいんだ」というのがやっと飲み込めてきた。



相手を先に整える

ぶつからない力の稽古をやっていると相手の状態がよくわかるようになる。

稽古の途中で、いままで技がうまく使えていたのに突然切れなくなる。そういうとき一言アドバイスすると立ち直ることがよくある。

お互いに受けを取っている方が相手にアドバイスをすようになってきている。

適切な一言が利く。アドバイスもそうだが瞬間バランス法もよく効く。今きている方はセンサーが敏感になっているから、ものの見事に効く。

だが見ている方には馴れ合い・一人八百長に見えるらしい。こちらとしてはいささか心外と書いたことがある。

お互い向かいあうと期せずして鏡のごとくに影響し合っている。
相手が立ち直る。どうもそれがこちらに反映するらしい。

そして自分のバランスをも調整されるという仮説を考えている。
そうするとこの技は相手を整える技なのか?

逆に自分を整えて相手に対したとき相手も整うことになるのか?

二宮尊徳の「たらいの水」の例えのように相手を整える方が先、これが地上におけるルールなのかもしれない。


目や体で覚える

ぶつからない力の稽古に出て帰りの電車でM先生が身体を固めてやけに真っ直ぐにしている。いつも身体を鉛直にしてリラックスした姿勢である。

「どうしたんですか」
「背中が丸くなりすぎているから伸ばしているんだ」
それを見て、アレッよく似ているなあ!と思った。

来る途中で図書館で日経の夕刊に載っていた辰巳柳太郎演ずる国定忠治の写真をコピーして持っていた。全くそっくりだった。

緒方拳さんがエッセイを書いていた。辰巳柳太郎は彼の師匠であり付け人をやっていた。

彼が研究生のころ「劇団はなぜ芝居を教えないのか」と総会で発言したら、後で辰巳先生に呼ばれ、芝居は目や体で覚えるものと諭されたという。

それでM先生に見せると「芝居だからしょうがないよ」という。筆者も最初見たとき脚を伸ばしすぎて固い、だが観客に見せるのだからしょうがないなと思った。礼法の先生に見せても同じことをいうだろう。

「目や体で覚えろ」というのが日本の伝統的な教え方である。昔はそれでよかった。キモノにぞうりに畳の生活だった。身体がそれなりに出来ていた。

今は洋服に靴・椅子の生活である。食事も大きく変わっている。まず身体が出来てこないとこの「ぶつからない力」もなかなか身に付かないように思う。



人は納得しないと倒れない

「人は納得しないと倒れない」
ぶつからない力の先生のことばである。まさにその通り!まれに見る名言である。

合気上げで真っ直ぐに入ってきて途中で反らす方がいる。相手の方は筆者が反らしたという。

筆者は反らされるのがいやだから抵抗したくなる。相手の技は効かない。途中で切れるのもイヤである。

「人は納得しないと・・」人の身体あるいは人の潜在意識といった方がわかりやすいかもしれない。いままで稽古の中で「いやだ!」といって抵抗したこことが数回ある。

力でくるのいやだし、途中で切れるのもいやだし、反れるのもいやである。だが、この反らしもボクの所為かもしれない。反らしというのは最近の傾向である。

最近のボクの雰囲気・呼吸が変わって影響を受けているのかもしれない。力でくるのもイヤで力で止めたし、技が途中で途切れるては当然こちらは影響を受けない。

だがWさんは変わった。前回はあった反らしがなくなっている。これなら抵抗感なく受けられる。

ここの稽古をちゃんとやっていれば身体は整ってくる。投げたり投げられたりしながらお互いが調ってくるのがいい。

力む・ムリをする・緊張すると自分自身が崩れ相手にも悪影響を与える。

「人は納得しないと倒れない」は「人は納得しないと治らない」といい変えることもできよう。

「人は身体が納得しないと治らない」「人は潜在意識が納得しないと治らない」と書いた方がわかりやすいかもしれない。


吸うことがストレスなのか?

「世の中に 寝るほど楽はなかりけり 浮世のバカは 起きて働く」という狂歌がある。

寝るというのは一番楽な姿勢である。お金のかからぬ健康法のその1が万能特効薬をお飲みになってみませんか?である。

夜、お休みとき横になってゆっくり呼吸をしていると固いからだがやわらかくなってきますよと書いている。

ところが昨日の朝、目が覚めたとき呼吸を意識した。筆者の呼吸はここのところおだやかな細い小さい呼吸になってきている。

意識したということはほんのわずかな違和感があったということである。寝ている姿勢のせいかと、いろいろ変えてみたがあまり変わらない。

起きて立っているときの方が楽に感じられるのだ。おかしいなあと疑問を持った。

ぶつからない力の先生に聞いてみた。なにしろ車でフロントガラスだけくもらないで横と後ろが曇ってくるという常識では考えられない方である。

「寝ているときの呼吸にわずかですが違和感が出るんですが、そういうことってあるんですかねえ?」
「人間の身体は立つため出来ているから」と仰る。

それはそうだ。直立二足歩行をヒトが選択して以来、いかに重力に対抗するかという点に集中して骨格も筋肉も進化し形成され続けてきている。

だから縦方向の圧力には強いが横方向に拡がる力には弱いという面がある。
腕で脚でも横に拡がる動きが強すぎると故障する。

そういう構造になっている。おそらく骨盤も胸郭も頭蓋骨も同じであろう。それで日本人はハチマキ・たすき・褌・手甲・脚絆を考え出したというのは前に書いた。

そうすると呼吸についても同じに考えた方が理屈に合っている。息を吸うというのは横に拡がる動きも含んでいる。吐くというのは締める方向に働く。

二本脚で立つことは何人にとっても生涯のテーマであると書いたこともある。
ここで呼吸と立つことがつながってくる。

おだやかな呼吸になってくると吸うことがストレス?になることもありうるということだ。特に寝た姿勢のときにそれが意識されやすいのである。

だがストレスで身体を固めている方が圧倒的に多い現代である。夜お休みの時はゆっくり吐いてゆっくる吸っているとストレスが抜けていきますよということになる。


呼吸を止めるな

「穏やかな人」というのは呼吸が穏やか人であろう。
筆者の呼吸が小さく細くなってきている。俺も穏やかな人になったかと思ったが、逆に呼吸の状態に気を取られる。今までの常識が邪魔をする。

普通、ながくゆったりした呼吸がいいように思われている。どうもそうではないらしい。

整体師Oさんが眠っているときデカイ鼾をかいたり、呼吸が詰まっているときがある。「あなたは身体が固いから眠ったとき呼吸が止めているときがあるよ、睡眠時無呼吸症候群だよ」といったことがある。

筆者の施術を受けて眠ってしまったとき、静かでかすかに呼吸をしている状態になるときがある。身体がほぐれてバランスが整ってくると呼吸は小さくて済むらしい。

歩いていてわかった。息苦しさを感じている。荒いといっても普通の人並みだ。ここのところ呼吸が落ち着いていたので今の呼吸に違和感が生じたらしい。

原因は先日のぶつからない力の稽古で余計な力を使ったらしい。だいぶ身体がゆがんでいると思われる。自分で調整しているが筋肉の記憶を消し去るところまでいかない。

筆者が技を仕掛けるとき息を止めている、それで自分も呼吸が止まるよといわれた。ここの稽古を続けているとお互い相手の状態がよくわかるようになる。相手の状態が自分の身体に写るらしい。

ストレスは万病の元とよくいわれるが、息を止めてやるようでは自分自身のストレスになるだけでなく、相手の方にもストレスを生じさせることになる。


バナナにも相性がある


筆者はデパートの果物売り場で相性テストをときどき試みている。だがバナナが筆者に合う結果が出たことは一度もない。

ところがナチュラルハイジーンのお話を聞いてからまた相性テストをやった。すると比較的マシなものが一点見つかった。エクアドル産である。

今まで一度も合格しなかったのに何故だろう?と疑問が沸いた。もしかしたら熟成度が関係しているのかもしれない。エクアドル産は全部黄色くなっていた。

バナナは茶褐色の斑点が出始めたときが一番おいしいとか聞いた記憶がある。
いままで熟成度でチエックをしたことがない。これはやっておく必要がある。

それと地域別もあるらしい。夕方いくと台湾産がいつも空っぽなのだ。確か前にチエックしたとき台湾産は割とよかったのだ。買う方は無意識的にわかっているのかもしれない。

人間の身体は自分に合うもの合わないものを瞬時に判断する能力を持っている。だが多くの方の脳は身体の「イエス」と「ノウ」をキャッチできないのである。筆者もそうである。

だが手技療法を学んだお陰で身体の歪みがわかるようになった。身体の「ノウ」は歪みとなる。その身体の歪みを目でわかるようにしたのが相性テストである。


人間の食べ物は果物か?ー2

「人間の食べ物は果物か?」を書いた。マクロビオテイックでは玄米を最高のものとする。ナチュラルハイジーンでは果物だという。

玄米でも果物でも今の自分の体質に合うものを摂ればいいと筆者は考えている。

ミクシイでバナナダイエットというコミュニテイがある。最も安全で簡単でラクチンなダイエット方法としてすすめている。

「朝食だけ、生バナナだけをお腹いっぱいになるまで食べる。飲み物は水です。痩せる理由は酵素が沢山取れる。

なぜバナナだけ? 単品摂取は、消化が早い。午前中は胃を休めたいので、果物のみ。果物を食べても胃液は出ない。胃をスルーして、腸で消化されます。果物でも種類によって、消化時間が前後するので、単品で摂る。消化が早い。調理時間・片付け時間が要らない」

バナナはいうまでもなく熱帯産。マクロビオテイックの「真土不二」に反する。マクロの立場からとんでもないということになる。実際合わない方もいて全然痩せないとか、体調が悪くなったとかの書き込みもある

玄米食もそうだが、バナナダイエットも理屈と理論が先で全く相性という点が忘れられている。

理屈をいう前に自分に合うかどうかである。


人間の食べ物は果物か?

木曜会でナチュラルハイジーン普及協会会長の松田麻美子さんのお話を聞いた。テーマは常識破りの超健康革命とある。以前、友人から本をもらって呼んだことがある。お話を聞くのははじめてである。

健康長寿&ダイエットへの近道ととして「ナチュラルハイジーン」がある。

彼女熱意が伝わってくる。その説くところは

1 食事の中心は果物と野菜である。
2 朝食信仰は肥満と病気の元凶である。
3 バランス食は誤りである。

果食が人間の食べ物であるというのは40年前、中村天風先生から聞いていた。だがその頃はマクロビオテイックとのご縁があり7号食による大成功をやった体験からそっちに傾倒していた。

朝食は取る必要がない。身体というのは午前中は排泄が主である朝食は取らない方が健康にいいということも教わっていた。

バランス食が間違いというのも数年前に聞いてはいた。消化酵素の関係で蛋白質と澱粉を一緒に摂るとその働きが悪くなるという。

7号食の成功もそのときの筆者の体質と食べ物が一致した結果であったとその後散々思い知らされた。

現在の筆者はマクロビオテックに軸足を置きつつも若干距離を置いている。玄米も身体に合うならば食べればいい。誰でも玄米を食べれば健康で長生きできるとは考えていない。相性ということを基本に置いている。

果物と野菜が食事の中心という考えはマクロビオテイックの考え方と対立する。主食を玄米にするか?果物にするのか?

その方の体質に合っているならば、どちらでもいいと考える。野生の動物達は自分に合う食べ物を知っている。

だが現代人のほとんどが自分に合う食べ物を選ぶ感覚を失っている。恐ろしいことである。改めて自分自身の感性を磨くことが必要であろう。



ゴジラの故障

HPにゴジラの耳を書いた。3年前のことである。
そのゴジラこと松井秀喜がまた左太もも肉離れで戦線離脱することになったという。秀喜と入力したつもりが不出来と変換されて思わず笑ってしまった。

随想では「福耳の方は骨太で内臓も丈夫なはずであるしたがって無理が利くし、がんばりやさんである。それが自信過剰となって無理をして体をこわす可能性が大きい。

松井本で幼児からの写真を沢山見ることが出来た。彼の写真を見ていて実に安定感がある。子供のときからそうだ。

福耳の人にありがちな暴走・無茶の気配が感じられない。これからも長く注目を集め続けるであろう。骨太つまりミネラルを豊富に持っているということである。

ゴジラと対照的なのがイチロー選手だ。彼の耳は流れ耳だ。人相学的にはよくないとされる。ゴジラに較べれば骨は細く持続力に欠けると思われる。しかしあの活躍ぶりだ。彼の感性で彼自身に合ったやり方で、人知れず研鑽を積んだのであろう」

鼻と耳の勝負を昨年5月に書いた。
筆者はいまの野球選手のなかでイチローの鼻が一番と思っている。

筆者はイチローとゴジラのどちらの選手寿命が長いか?に興味を持っている。
それはイチローの鼻とゴジラの耳の勝負と思っている」

そしてイチローの自己コントロール力からイチローに軍配があがると考えている。

だが今からゴジラに故障されては全然おもしろくない。清原選手が怪我で調子を落としていったのが32歳の時である。ゴジラもいま同じ32歳である。

選手生命が燃え尽きる最後までデットヒートを演じてほしいと願っている。


正しく座る

今日、正座が非日常的行為になっている。医師や治療師の一部の方に正座はよくないとする考えがある。

たしか歪みの大きい方が正座をするとさらに歪みが増大することがある。だがバランスを調える力もまた大きい。椅子の場合は体重負荷は正座に較べればゼロといっていい。故に両膝はつけた方がいい。

「正座は股関節の文化である」といった方がいる。
正座をすることで身体が整ってくる。正座である、正しく座りたい。

細かいことかもしれないが母趾の重ね方さえ意見が分かれる。
1 重ねない方がいい。
2 原則として、男性は左母趾が上で女性は右母趾が上とする。
3 母趾は左右どちらが上でもいい。

筆者は2を取る。この方が歪みが取れやすいからである。だが長年の癖が強いと逆になる場合が例外的にある。

正座の時に両手の落ち着く場所がある。それが最近になって漸く少しわかった。

半年くらい前から、正座して両手の置くと違和感があって置き場所を模索していた。礼法教室で先生にも聞いている。両手の平を顔の両横の位置で自分の方に向けてから前面に向けてふんわりとおろした位置だといわれた。だが落ち着かないのだ。

4/12の礼法教室で参加者の方のお一人お茶をやっていた方と聞いたがいい位置に両手があった。

その方の手の位置を見てあれこれ試行錯誤してわかったことがある。手を自然に置いてはダメなのだ。

自分の感覚では少し肘を持ち上げるような感じなのである。先日書いた「重心を上げる?」の応用であろうか?

先生を座り方ではあまりにも自然すぎて真似が出来なかった。


惜福

谷亮子、世界選手権6連覇、全日本体重別11連覇、福岡国際11連覇、五輪では2度の金メダルと2度の銀メダルと圧倒的な戦績を誇る。

全日本体重別選手権で谷選手は決勝で敗退した。しかも相手は五年前に敗れた福見選手である。

それでも全日本柔道連盟は九月に行われる世界選手権の代表選手に決めた。

出産・育児のハンデはあるだろう。まだ身体が勝負師の身体に戻っていないのかもしれない。

昨年一月「真面の笑み」を書いた。旦那と生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたやわらちゃんの写真をみて書いたものである。

彼女に耳につけたものがピアスなのかイヤリングなのかはしらない。

もし耳に穴を開けたとしたらその影響は大きいものと見ている。ゴルフの藍ちゃんも何でもないはずのショットを外している。

惜福ということばがある。文豪幸田露伴のことばである。文字通り福を惜しむの意で誰でも幸せになるチャンスはやってくる。それを大事に使いなさいということである。

分福・植福ということばが続く。分福はやってくる福を独り占めしないで人にも分けなさい。

植福は自分の持っている能力や財産等を人世に吉慶幸福のために使いなさいということである。

彼女の輝く戦績は見事である。だが同じ相手に二度敗れて世界選手権の代表選手に選ばれたということは柔道での福分を使い切ったように見える。

そうならば世界選手権・北京オリンピックの金メタルは難しいものとなることだろう。


息を吸うでもなく吐くでもなく

呼吸は生命の根元である。オギャーと生まれてこのかた呼と吸を繰り返している。呼と吸は陰陽,求心性と遠心性の始まりである。

筆者は最近呼吸が落ち着いているというか細く小さく、吸うでもなく吐くでもない状態が多くなっている。一般的には大きくてゆったりした呼吸がいいように思われている。どうも違うらしい。

息を吸うでもなく吐くでもない状態といっても普通はできないし考えもしない。

だがぶつからない力の稽古に参加されている方は自分では気がついていなくともやっている可能性がある。身体の中心軸が地球の中心に向かうとき鉛直が生まれる。

鉛直が成立すれば余計な空気は必要なくなる。必要でないどころでなくおそらく有害になる可能性がある。

小さい呼吸のときあるいは呼吸が止まっているとき、その状態に気がついて慌てることがある。別に慌てる必要もないのに従来の習慣を身体が思い出すような感じである。

吸うでもなく吐くでもないが、最近知られるようになったいわゆる睡眠時無呼吸症候群の類ではない。ストレスが重なると身体を固くして息を止めて耐える。その結果、身体がウンと固くなった方が睡眠時にも無呼吸状態になるものと筆者は考えている。

鉛直が出来てきて息が吸うでもなく吐くでもない状態になるのは身体がいい意味でゆるんだ結果である。息を吸うでもなく吐くでもない状態、これは究極のニュートラルと考えている。

再度書いておくがこれは身体が出来てきての結果である。意識的に作ろうとしても続かない。前にも書いたことがあるが息を止めている時間は通常は1分が限界である。だが指回しを各指内回し外回し各20回宛やったとき5分の息止めが可能だった。

人間が息を止めているのは嫌いなことをやっているとき、そして好きなことに夢中になっているときである。そしてもう一つあった。それは身体に鉛直が生まれたときである。


腰が痛いんですが

「腰が痛かったのでみてもらったら、背骨がまっすぐで湾曲がない上に右に全部曲がっているといわれました。

どうしたらいいか聞いてもいまいちわかりませんでした。
いいストレッチや方法をご存じの方教えていただけませんか?」

「立位体前屈はどのくらいできますか?
多分、固いでしょう。身体が固いと変化がわかりにくいです。

両足交差前屈を3~5回やると多少やわらくなります。
身体をやわらかくする・歪みを少なくするを目標とされた方がいいでしょう。

だけど一度腰を固めてしまうとなかなかやわらかくなりません。
長期戦で考える必要があります。

比較的女性は早くやわらかくなるようです。筆者の姉の例があるし呼吸塾に見えた女性の中で1年くらいで見違えるほどやわらかくなられた方がいます。
ご参考「やわらかい方がよく流れる」

立位体前屈はそのチエック方法になります。
なにか運動したらチエックしてみると習慣をつけられたらいいと思います。

何がいいか、検査する手段を持つと解決の方向が見えてくるでしょう。


痩せ願望

ミクシイで「痩せる」 というコミュニテイがある。じきに12万人に達しようという巨大コミュニテイである。

いかに痩せることに関心が集まっているかということである。「朝バナナダイエット」は「痩せる」コミュの一つのトピックである。

1時1日20件もの書き込みがあり瞬く間に1000を超し今は1800件を超し、今も書き込みが続く。健康雑誌でも取り上げられた。

朝バナナ一本と水だけという簡便さと日本人の付和雷同性が結びつくとブームになる。いいも悪いもない。ワーッと群がる。

TVで見る動物たちの映像、食べ物を求めて何ヶ月以上もうろついている北極のシロクマ、1ヶ月も獲物が弱るのを待っているインドネシアの巨大なトカゲ(コモドドラゴン)、圧巻は南極の皇帝ペンギンである。

皇帝ペンギンは四ヶ月間の飲まず喰わず立ったままで抱卵・育雛をおこなう。しかも氷点下60度という極寒の地である。

動物は食べ物を求めて動き回っている。食べ物がいつでも手に入るわけではない。むしろ逆で食べ物が手に入らない方が当然みたい生活が多い。

必然的に飢えには強くなってくる。逆に飽食・美食が続けば飢餓に備えて体内に食べ物を蓄える習性がある。

それに加えて運動不足がある。車・電車等の乗り物、洗濯機・掃除機・冷蔵庫等の家電普及、そしてでパソコンと朝から晩まで身体を動かさない生活である。

人間のようにうまいものを毎日食って身体を動かさなければ肥え太ってくるのは当然ということになる。

荒行で知られる比叡山の「千日回峰行」というのがある。このクライマックスは9日間の堂入りです。断食・断水・不臥・不眠の9日間である。6日目ぐらいからは体から死臭が漂いはじめるという。

だがこれさえも皇帝ペンギンに比べたら物の数ではない。人間の食べ物の栽培・貯蔵等の技術が人間の持つ野生のパワーを弱くしているのであろう。


肛門を閉めるー2

天風先生はクンハバカを会得されたのは水の中で瞑想をしているときだったという。カリアッパ師は見ていて「ウン、よし出来た」といわれたという。いわれて水から上がると「それではダメだ」とそっぽを向かれた由。

何日かして漸くカリヤッパ師はニッコリされて「普通の人間は何年も掛かるところをお前はわずかな期間でよくやった。もういいから日本に帰りなさい」
といわれたといって天風先生は涙声になった。

カリアッパ師はもう毎日ついていてくれたという。だが一々教えてくれる訳ではない。ヒントだけ与えて自得させる。ヨガでは自分が苦労を重ねて得たものを簡単に教えると天罰があるという言い伝えがあるとか。

天風先生が与えられたヒントは「身体を徳利に水をイッパイ入れた状態する」

大分詳しく書いたつもりだが却ってわかりにくいかもしれない。
読んで出来るようになるかといえば多分出来ない方が殆どだろう。時期がきていれば一読納得して出来るようになると思われる。

筆者は天風式クンバハカ法を教えて頂いてからここまで来るのに40年掛かった。ヨガの修行者のなかには一生掛けても会得できない方もいるのだという。

「肛門を締める。同時に丹田に力を込め肩を下げる」この表現は天風先生の感覚である。

これを聞いて実行すると別のもになってしまう。人はみな違うのである。今の筆者の感覚でいくと、肛門は締めるでもなくゆるめるのでもない。

肩は下げるというより上げる、フンワリ上げるような感覚になる。この辺は先日書いた〇〇さんの重心を上げるという感覚と同じかも知れない。

丹田はあまり意識していない。筆者にとっては「鉛直+肛門」でいいらしい。
丹田は少しは出来ているのかも知れない。丹田も力を入れるというより空っぽにするような感じになる。

気がついたのが4/2である。この日が面白い。筆者の届け出の誕生日は4/1であり、本当の誕生日は4/3である。

中庸・調和に徹せよというお告げかもしれない。


肛門を締めるー1

肛門を締めると感情や感覚を統御出来るといわれている。
だが我々は気がつかずにそれを使っている。

どういうときかというと、頭をイヤッというほどぶっつけたときなど激痛を感じたときである。それと断食のときである。意識せずして出来たときこれが最強である。

天風会では「ショックや衝撃を受けたとき、まず肛門を締める。同時に丹田に力を込め肩を下げる。折あるとき時あるごとにクンハバカ」と教わった。

だがこれも天風先生の感覚である。文字にすると文字が一人歩きをする。人はみな違う。100人いれば100人みな違う。受け取り方もみな違う。「不立文字」「以心伝心」が本当なのかも知れない。

前にも書いたが藤平光一氏にいわせると「天風会でやっていりクンハバカは間違っている。ちょっと突いただけでひっくり返るではないか」

そして天風先生にも質問をぶっつけたという。「先生はいつもクンハバカをやっていらっしゃいますか?」「いや、やっていない。ただいつでも出来る状態にある」と天風先生が答えられたと書いている。

この状態を説明することばはリラックスとか脱力になる。筆者はその状態は鉛直であるといいたい。肛門は開くでもなく締めるでもない状態である。イヤ矢張り締めるかな。


重心を上げる?

普通、重心を下げようと考える。藤平光一氏の「物体の重心はその最下部にある」ではないが、重心を下げようとする。

その意識が力みをつくるのか?
その逆をやってうまくいった方がいる。

〇〇さんは半年くらい前は座り技はよかったが立ち技になると全く効かなかった。だが昨日は違った。立ち技に於いても格段の進歩を見せた。上半身と下半身をうまくつなげるコツを掴んだらしい。

立ったときの姿勢も腰の辺りがきれいにまとまって抜けががない。痩せて長身白哲の青年である。

帰り道で聞く。「どうやってつなげたんですか」
「重心を下げていたのを上げるようにしただけです」
「ウーム、お主やるのう!」これはボクの内なるつぶやき。

これは重要な問題を含んでいる。
努力逆転の法則というのがある。努力すればするほど逆の方へいってしまう。

立位体前屈で「何も考えない」ということばが有効だった。脳にとって思考するということが負担になる場合が多い。それは身体にとってストレスー歪みになるからだ。

彼の場合も続けていたらますます身体は固くなり歪んできただろう。

子供に勉強しろといっていると、子供が勉強嫌いになるケースが多い。最初は親のいうように勉強していてもその内にイヤになってくる場合もある。

「上記の重心を上げたんです」にしても身体への負荷・心への負荷の両方が取れたということである。

だが本当によく気がついたものと感心する。それもぶつからない力の稽古に参加しているお陰かもしれない。

ここの稽古をやっていると真っ直ぐに立つことが身に付いてくる。さすれば感覚もシャープになってくる。

元々ずば抜けたセンサーをお持ちの方である。早晩、気がついたことなのかもしれない。





内を締めるか?外を締めるか?

以下ミクシイに書いたことと一部ダブル。

半年振りくらいかな、ぶつからない力の稽古で手を合わせた〇〇さん。
合気上げで全然、浮かない。「肛門は矢っ張り締めた方がいいですよね」
これは彼と先生との会話である。

「感情のコントロールが出来るんですよ」なにやら聞いたことのあることばである。昔、天風会で天風式クンバハカとして肛門を締めることは教わっている。 ただズーッとやっていなかった。

「肛門を締め、丹田を意識し同時に肩の力を抜く」これはヨガの秘法であり感覚や感情を統御すると教えられた。

こっちが攻めても相変わらず浮かない。 先生と会話しながら、軽くこっちの攻めをブロックしている。

「締めるのも外を締める場合と内を締めるのと二通りあるですよ」
「え、内と外ですか」これはボク。

肛門を内から締める?外から締める?と考えながら締めて合気上げをやっていると俄然、相手が浮き始めた。

それからの合気上げは彼に対しては全部うまくいった。

肛門を意識して締めたためにボクの身体バランスが回復したからと解釈した。

肛門の締めが内と外二通りあるなぞ、どうやって見つけたのであろうか?
だが肛門の内と外を意識してやってみると違いがある。違いがあるといっても実感はまだない。

肛門内側を意識して締めたつもりでチエック、外側を意識して締めたつもりでチエック、そして始めて内外の差がわかった。

内側を意識して締めた方がバランスが調う。一々チエックしないとわからない。センサーの優れた方は一々チエックせずともわかるのであろう。

筆者の場合は内になる。内だと締めるというより拡げるという感覚になる。この辺は人によって表現が異なる場合がある。同じ事をいっているのに逆の表現になってしまう。


虎走(とらはしり)も一直線平行

きつね歩きのことを書いたら、虎走についてどう思いますか?という質問を受けた。筆者の知らないことばである。検索すると居合いの用語である。動画で見ると雑誌で見たものとはまた感じが違っている。

あぐらのような姿勢から身体を起こし抜刀して横面を切り、そのまま振りかぶり正面を切り下ろし、次いで打ち掛かる二人目の敵の胴を抜く。
両足は一直線を挟み平行、足先はやや内に向ける。両足は床を掴むようにと書いてあった。

筆者は剣や居合いは門外漢である。的はずれとなるかも知れないが書いてみる。

最初の片膝立ちあぐらの姿勢からして難しい。以前、この姿勢を取ったとき肩を押さえられると起きあがれなかった。背中を丸め低く身体を固めるのだと思うが出来なかった。

正面打ちで筆者が切り下ろそうとして三回も切られてしまったことがある。多分、居合いの経験者。

両足は一直線を挟み平行、足先をやや内に向けて小刻みに進み退くというのは納得である。歪みを出さず身体バランスを調える動きと見る。歪みが発生すると技でなくなる。

雑誌では背中をやや丸めて低い姿勢で動くのも、体幹部を固めて捻れを防ぎ股関節の遊びをなくすことにつながると考えた。

両足は床を掴むようにという表現は多分ことばの綾と思うが、10趾全部が床にピッタリという意味と解釈したい。掴んでいては動けない。
現代人の多くは10趾が床に接触していない人が多くなっていると聞く。

「キミは松井かイチローか」に書いた如く筆者はつま先閉じタイプである。
肘は上げて肩と水平くらいその分左手もそれに合わせて高い位置での動きが歪みが出にくい。これだとどうも落ち着かない。写真の主の背中を丸めているのも居合い腰で抜くための工夫かもしれない。

指先に意識を向けて柄に手を掛ける。立ちあがると共に足は平行の位置にあって、歩みをすすめるときは外重心にして体重を載せる。
指先から動くというのがつま先タイプなのだが意識しすぎると固くなる。

「きつね歩き」も「虎走」も一直線平行で歩くというところがキモだろう。


NNK・PPKを知っていますか?

いつだって今が一番若い。だからいつも若いつもりでいる。
人間は生まれながらにして死刑囚であるといった人がいる。誰でも日々死へ向かっている。

「元日や冥土の旅の一里塚」という句がある。一休さんの句だったと思う。
と書いてきて調べたら「めでたくもありめでたくも無し」と続く。

年と共に筋力も衰える。やっぱり筋力を鍛える必要があるのかと思ったりもするが、たいてナマケモノの筆者は三日坊主で終わる。

記憶は常に古く、現状認識より記憶を優先する。年取ったことは認めたくなくムリをする。年寄りの冷や水とはこのことをいうのであろう。

一回お会いしただけなのに毎年お手紙をくださる方がいる。
しかも和紙に墨を使って書かれている。もう10年は続いている。
この方は多分80を越えたと思われる。

「お誕生日、おめでどうございます。
出来るだけちょきん(貯筋)をしましょう」とあった。これはA4の大きさであり、二枚目がある。

二枚目もA4で縦書き

NNK(ねんねんコロリ)でなくPPK(ぴんぴんコロリ)と逝く
ために毎日少しずつ筋肉とスジ(筋)を鍛えましょう。

・スクワット(一回から百回へ)
・アイソメトリックス(一日おきに)

・歩く(早足で20分、4日に一回)
・タラタラ走る(右↑と殆ど同じ)
 ウオームアップと、クールダウンをきちんと

・横隔膜呼吸(ミトコンドリア活性呼吸)
・四日ごとに熱めの風呂に入る(HSPを増す)

わからないことは自分で調べましょう。

とあったがHSPはわからない。PPKは知っていたがNNKは知らなかった。日本のNNKの技術は世界有数というより№1らしい。



動きの法則

 息が変わると身が変わり心が変わる
 身が変わると息が替わり心が変わる
 心が変わると息が変わり身が変わる

と心と身体と呼吸の関係がまとめられる。

腹を立てたら1ヶ月も腹を立てている奴がいた。人のことはいえない。筆者もそういうときがあった。

こころの状態で呼吸が変わる。マイナス感情が呼吸を浅くし、身体を固くし歪みをつくる。

慌てて動いたとき、我慢しながらやっているときもそうだ。呼吸が浅くなり身体が固くなる。

人間は感情の動物である。感情は筋肉に表現される。

「キミは松井かイチローか」人間に4通りあると紹介した。
左重心と右重心をつけ加えると6通りになる。

動きにはルールというか法則がある。筆者は足でも手でもつま先ら動き始めた方がスムースにいく。それも右からである。

踵タイプは踵から動き出し踵が主導したほうがいい。

右利きは右を多用する。バランスを取るためか左から出るように心掛けなさいという説がある。これはその説とは逆になる。