息を止めるということ

お釈迦様も息を止める練習をしたんだそうだ。
生・老・病・死の問題解決のために王子の身分を捨て苦行を始めたとある。
その苦行は断食と断息、風雨・寒暑に耐える・棘の床に臥す・立ち続けるとか6年間続けられたという。

苦行をやっても問題の解決にならない、無意味であると考えられて苦行生活に別れを告げた。

そしてスジャータの捧げる乳粥をすすった後、瞑想をして悟りを開かれたということになっている。

だが難行苦行が無意味であっただろうか?
断食の効果は補食のときにある。補食のときに食べたお粥のおいしさは生命の実感を味わうことだろう。お釈迦様が悟りを開かれたのも断食と関係があったと筆者は考えている。

それと断息である。これを真面目にやると目から鼻から耳から火を噴くばかりの感じになる。やってみればわかる。

人間はイヤなことをやるときも息を止めてやる習性がある。逆に好きなことに夢中になっているときも呼吸を止めてやっている。

イヤなことを呼吸を止めてやっていると身体は固くなりエネルギーは消耗する。好きなことを息を止めてやっていても身体は固くならないし消耗どころか逆に元気になる。

姿勢がリラックスして真っ直ぐになると呼吸がおだやかになってくる。究極のところ呼吸をやっているかどうか、わからないほど小さくなってくる。

断息の真の目的はそこにあったのではないか?
目・鼻・耳から火を噴くような苦行は勘違いも甚だしいということになる。


足先の開き角度が問題

足の開き角度ど首の固さが関係があるらしい。
開きというのは指先が外向きにだと外旋、内を向いているとき内旋という。

筆者は一直線平行歩きを実行し人にもすすめてきた。
それでO脚が改善できた。

近々、O脚自力改善プロジェクトを立ち上げようかと考えている。

だが和室での動きの基本である跪座(正座から両足を爪立てた姿勢)がまだちゃんと出来ない。左足拇指丘の辺りが固く跪座をやるときつくて痛みがある。

何故痛いのだ?両足を平行にして歩くのだが左足は拇指丘に負荷を掛けているらしい。

普段歩いているときは気がつかない。貴座をやって始めてわかる。
そうするとどうも右首が固くなるらしい。

試しに左足先を少し拡げて歩いてみたり拇指丘に負担の来ないように少し浮かし気味に歩いたりしてみた。

筆者の場合、首は通常右に廻しにくい。ところが足の負荷の掛け具合によって左に廻しにくくなるのだ。

これで跪座の問題が解決するかもしれない。

勿論、人の身体は人それぞれであるから試されても同じ結果が出るとは限らないが、足先の角度が首に影響しているは間違えないようだ。



呼吸を止めても平気?

「息の根を止めてやる」という表現がある。首を絞めて殺してやると脅かすことばである。息が止まると死んでしまう。そんなこと当たり前。だがそうでない方がいる。

「ここへ手を持ってきて」といわれて手の平を顔の前2センチくらいのところに置いた。

1分くらいそうしていただろうか?呼の方も吸の方も全く感じられない。
呼吸を止めた状態である。

わずかに横隔膜くらいは動いているのかもしれない。皮膚呼吸で空気を取り入れているのだという。

まあ、単細胞時代は酸素も水も食べ物もみんな皮膚から取り入れていたのだからそういう能力は残っている筈だ。

専門家に聞いたことがある。皮膚呼吸の量はどの位のものなんですか?と聞いたら5%くらいだという。

古い記憶だが新聞で金箔を身体に塗りつけた踊り子が死んでしまった記事があった。だから皮膚呼吸は5%なんてもんじゃないだろうと思っている。あるいは量の問題でなくもっと重要なことがあるのかもしれない。

力み・緊張が抜けていると呼吸は少なくて済む。これは実験済みである。どこかのページに一度書いた。

10年以上も前、指廻しがブームになったことがある。その効果を確認するために息止め時間をビフォー/アフターで比較した。

五指を内廻し・外廻しそれぞれ20回宛廻した。するとどうだ。ビフォーで1分やっとが3分・5分楽に出来るようになった。1週間継続して試したことがある。

真っ直ぐに立てれば呼吸はすくなくて済む。
頭であれやこれや考えなければ酸素は少なくて済む。

ことばの波動ー2参照




新しいステージへ

ぶつからない力の稽古
自分を見ない・自分のことを考えないと技が効くようになる。意識を自分に向けている限り技は効かない。

例えば自分の体勢をどうしようこうしようと考えるとダメになる。初期の段階では自分の身体を締める必要がある。

だがステージが変わった。身体操作から意識操作に完全に切り替わったのだ。そういう意味において1/24は記念すべき日となった。

意識を相手に向ける、相手を見ているときは自分を見ていない。こころは二つ同時に考えられない。

相手がこっちを見る。相手の意識が入ってくるとこっちが無力化される。

腕相撲でやって見せてくれた。お互い手を合わせて、意識を相手に向けた場合と意識を自分に向けた場合とで比較すると結果はすぐ出る。

同じ理屈で意識を外に出せば技になる。脳にとって思考することがストレスになることはわかっていたが、ここまでとは全くもって予想も出来なかった。

腕相撲でよくわかった。実によくわかった。こういう世界があるのだとわかった。だがこれを自在に使いこなすにはまだ時間が掛かるだろう。

合気道開祖植芝盛平翁が万有愛護を称えた。それが究極の自分を見ないことになるからではないか?それは「無我と無私」の世界につながる。



相性を見よ

付和雷同するなかれ!
猫も杓子もということばある。今回は納豆で大騒ぎした。

結果はデータが捏造されたものだという。また納豆が買えるようになってやれやれである。

ミクシイ状での朝バナナダイエットもしかりである。「痩せる」というコミュニテイで8万7千人を集める。

最も安全で簡単でラクチンなダイエット方法と書かれてすぐに飛びつく。朝バナナ一本と水だけでダイエット出来るというのである。

2ヶ月足らずで1200件以上の書き込みである。当然合う方もいれば合わない方もいる。

合う方は取ればいいし合わない方は取らなければいい。納豆にしてもメーカーにより相性は異なる。

下記はあるお塩の宣伝文句である。
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だが筆者にはあわない。本当に合う人がいるのだろうか?





立位体前屈32センチ→2センチ

1/20に呼吸塾に参加された20代の男性。
物ごごろついてから、指先が床についたことがなく、半年ごとにギックリ腰をやっているとか。

立位前屈で測定すると30センチを超す。用意した物差しの目盛りが30センチしかない。それを超えて目測で31~32センチはある。

PCを使うお仕事かなと思ったが違った。編集だという。1日13~15時間も原稿とにらんでいる由。そりゃ、固まるまるだろうな。

筆者は20代であれば当日中に床までなんとか付けることは可能といってきた。

立位では南向きがいい。仰臥位では北枕がいい。仰臥位で合掌両手ゆらしで両肩のバランスを整えて踵落としで股関節のバランスを整える。やっていると15センチくらいのところまでは楽勝だった。

立って前屈をするとふくらはぎが突っ張っているというのでふくらはぎを自分で圧定させた。とかく強く押しやすいが皮膚が3ミリくらい沈む程度でよい。

それからがペースが落ちた。頭を廻しやすい方にましてそのままキープするやり方がある。これが効かない。足を重ねてやるローリングも逆に固くなる。
すごく固まりやすい体質らしい。毎日同じ姿勢で長時間すごされているせいだろう。

そこで整体の技を繰り出して手助けした。それでも8センチくらい。瞬間風速で5センチくらい。

次はあやしいやり方である。「ありがとうございます」といいながら前屈するスーッと下りやすくなる。同じように「はい・はい・はい・はい」も「イエス・イエス・イエス・イエス」といいながら前屈するとスーっと下りる。しかも安定する。瞬間風速でない。最終的に2センチでほぼ安定するようになった。

文字ではやらなかったが、ことばに対する反応がものすごくいい。拒絶反応が全然ない。編集のお仕事のせいか?

エコノミークラス症候群のことは何回も書いている。血栓の出来やすい方の場合、身体を長時間動かさないでいると血栓が脳や心臓に詰まることがある。身体が固まってくる。身体が固まってくると血管も細くなるだろう。PCが普及している。

毎日の長時間デスクワークの場合、よほど注意された方がよい。同じ姿勢をキープするために呼吸が浅くなる。呼吸が浅くなれば筋肉が固くなる。そこから毎日悪循環が始まる。


書くということ

朝目が覚めたとき、書くことが纏まっている。
内容がスーッと文字になって出てくる。

PCに向かって文字を打ち込んでいく。
ほとんど訂正も入らない。

こういうときが一番である。書いた後がスッキリしてなんともいえないくらいいい気分。

いつもこうはいかない。
朝目が覚めて、さあ何を書くか?テーマも出てこない。
これだと困る。

とにかく毎日一編以上書くことにしている。
ミキシイもある。
朝テーマ探しをやっているようでは遅すぎる。

テーマが決まって書き始めても筆は進まない。
時間が掛かる。これだとストレスになってしまう。

三次元世界の住人だから、書くことがスッキリ感もあればストレスになることあるか!

書くということは中にあるものをはき出す行為だからこれも呼吸の一つだろう。



オイゲン・ヘリゲルが伝授された呼吸法 -2

「無我と無私」イオゲン・ヘリゲル著 ランダムハウス講談社発行

阿波研造師範は呼吸法を著者に教えて、それを実証すかのように強い弓を引き絞り、著者に腕に触るようにいった。

師範の両腕は何もしていない時と同じように、完璧に力が抜けていた。

著者はまずは弓矢を持たないで呼吸法を練習した。
師範は息を最後まで吐き切ることを重視した。
すっかり吐ききるまで息を吸ってはいけなかった。

弓を引いて放つという一連の過程は数段階に分かれる。
どの動作も吸気から始まり、息をしっかり保ちながら押し下げ、しまいまで吐き切って終わる。

一つ一つの動作や手の位置が明確になり、流れるような一連の動作となる。

正しいやり方で息を吸い込み、弓を引くたびにいつでも腕や肩の力を抜こうと心掛けるのだが、そうすると今度は足の筋肉がひどくこわばってしまうのだ。

「一生懸命リラックスしよう心掛けています」というと師範は「それがいけないのです。リラックスしようとがんばっている自体が。

一切を忘れてもっぱら呼吸に意識を集中しなさい。
呼吸以外、何もすることがないように!!」



膝が痛いときは?

12月の初め位から階段の上り下りやしゃがむ時に膝と太ももの付け根あたりにズキンとする痛みが出る由。

膝の外側が痛い右も左も痛いとのことで多分O脚と考えて下記をアドバイスしました。

「あれやこれや考えてみたのですが、簡単な方法をお伝えします。

多分大分固くなっていると思われます。
まず立位前屈をやってどこまで曲がるか見ておいてください。

お風呂に入ってゆっくり正座をします。
そのままキープします。

膝は出来たら閉じた方がいいでしょう。
でもムリは禁物ですよ。

お風呂から出たらまた前屈をやってどこまで曲がるようになったか見てください。膝を曲げてみて痛みの状況をお試し下さい。

結果がいい具合ならば毎日お続けください」


食品添加物

老舗メーカの不二家がずさんな品質管理が問題となっている。

賞味期限切れの加工品を使い製品を作り、洋菓子では国の基準の10倍もの細菌が検出されたという。

不二家の問題はあってはならない。だがコンビニ弁当はどうなんだといいたい。

有吉佐和子の「複合汚染」が出版されたのは30年も前である。
食品添加物については国によって一応検査されてはいる。

だがどこまでやられているのだろうか?
人間の身体は有毒なものを排泄する機能がある。

だがそれとても限度がある。アトピー症やいろんな病気が増えて来ている。
防腐剤・着色剤・調味料・甘味料がほとんどの食品に入っている。

コンビニ弁当等の添加物の複合効果・蓄積効果についてはおそらく検査は不十分というより検査すること事態がムリであろう。

添加物が体内に蓄積されていって10年後あるいは20年後に発病するかもしれない。そんな検査はできっこない。

個人個人が自分のセンサーを磨けばコンビニ弁当なぞはお金を出して買うはずがない。

買わなければ添加物まみれの弁当を作ったり販売したりするはずがない。


中指のコキンコキンー2

左手中指を曲げるとコキンコキンといっている。お風呂でやるとよく響く。

親指を人差し指にくっつけておくだけでもいいのだが、もうひとつやっていることがある。それは左手の小指廻しである。

かって手技療法を教わっていたとき、手や足の指を一本廻すだけで全身のバランスを整えて見せた先生がいる。

「オッすごいなあ」と思った記憶がある。そのとき、お互い組んで練習したのだがうまくいくときもあるし、歪みがとれないときもあった。だが原理原則がわかると、どうということはない。

指一本を廻すのであるがかなり複雑といえば複雑である。筆者の場合、左手小指のラインが固くなっている。これをほぐさなければならない。

1 左小指の爪の両横をまず右手で挟む。
2 外側にわずかに曲げる。
3 掌側に屈曲する。
4 小指のつけ根に向かって軽く曲げていく。
5 限度までいったら内側に少し寄せ気味に伸ばしてくる。

以上の手順を呼吸に合わせて行うのである。
以上は筆者の場合である。人によっては方向や呼吸が違ってくる。

5回やったら取りあえず中指のコキンコキンは消えたからこれも有効である。
一般の人が呼吸を合わせて上記の手順を行うのは難しいから簡易版を書いておく。

固くなっている小指を外に10回くらい廻す。これは薬指を除けば外廻しでいい。薬指だけは内廻しとなる。

たかが小指だが、こんな動きでも全身に影響を与えるのである。
ここまで書くといかにも術らしくなったと思った。

あまりにも簡単な技を簡単に教えると、よく効く技でも軽く見られてしまうのである。





中指コキンコキンー1




「これ出来ますか?」といって左手の小指を曲げて見せた。

指先を軽く伸ばした状態で小指だけ曲げるのはかなり難しい。筆者は右手は出来るが左手は出来ない。小指を曲げると薬指まで曲がってしまう。

左右共に出来るということは身体がやわらかくてバランスが整っていると見てよい。

子供の頃やった記憶がかすかにある。その時も左は出来なかったような気がする。

いつ頃からか左手の中指を曲げるとコキンコキンと音がする。どうも合気上げを筋トレにしてしまった報いらしい。

例えば、たまにバットやクラブ・竹刀を強く握って振ったりあるいはたまに家庭菜園で鍬を握ったりすると、指を曲げるとコキンコキンと鳴る時があるだろう。

それと左手拇指のつけ根のあたりが若干痛みがある。
左手が固くなっている。

前にも書いたが身体は横方面に対して弱い。
負荷が強すぎると筋肉を固くして組織を守ろうとする。

手が横に拡がるのを嫌がっている。ならば親指を人差し指に寄せればいい。
親指を人差し指側に寄せて中指を曲げるとコキンコキンといわなくなる。

だが親指を離すとまた鳴る。なるべく親指は人差し指にくっつけておけばいい。

後は左手の筋肉状態が正常に自然回復するのを待てばよい。
原因と対策がハッキリして落ち着いている。



風水でやる気?

ぶつからない力の稽古をやっている上板体育館は地下にある。
入り口は大きな引き戸が二枚ある。この間一枚だけが開けられていた。

「戸が一枚あると変でしょう」といって先生が引き戸を開けた。確かに変である。二枚とも開けると雰囲気が変わる。二枚とも閉めると陰気?異様な感じがする。

風水なぞはあまり考えてこなかった。だが方位が人間に大きな影響を与えていることは自身の身体でも人様の身体でも検証済みである。

自宅の玄関のドアーを開けるとすぐ階段がある。この構造だと気が外に抜けていく。だからそこに住んでいる人は極端に無気力になってしまうという。

この話を聞いたのは10年くらい前だった。全然やる気にならない状態が続いていた。それで思い立って階段をふさぐように長いカーテンをぶらさげた。
そしたら変わった。なにかが変わった。

「やる気になるにはどうしたらいいですか?」
「やる気満々見えますよ」
「ん、??」
易の先生にお聞きしたときのことである。

「やる気があっても足が前に出ないのはどうすればいいですか?」と聞けばよかったのだ。いわれてみれば確かにやる気はある。だがなにかが不足している。

書いてきて思い出したことがある。稽古の時に「ぶつかったら流せばいいのだ」といわれている。筆者もそうアドバイスを何回もいっている。

階段のところにカーテンをぶらさげた。これで抜けは止まった。だが流れも止まった。
あやしい話ではある。だがもう一工夫せずばなるまい。


冷え性対策ー2

ミクシイでの冷え性に関する書き込みである。筆者の書き込みは103番目だった。

「皆さんのアドバイスはほとんど試してみました。
食べ物飲み物はもちろん変更し、サプリや高麗人参かかしません。
半身浴では風邪を引くのでTシャツ着込んでつかりマッサージも運動もしてるのに。温かいのは一瞬。
靴下の上にフリースの膝までのソックス、更にホカホカシューズ。
それでも足がそれらの素材を冷やすほど・・

いったいどうやって治せばいいのかもうわからなくなってきました。

股関節の不具合や関節のせいで血液が周ってないのか。
そんなことあるんでしょうか?

どなたか良いアドバイスお願いします」

筆者の書き込み
「高麗人参は陽性でいいようですが,身体の固い締まった方の冷え性には逆効果です。

生野菜・果物等、身体を冷やす陰性食品を摂りすぎていませんか?

踵の高い靴を履いていらっしゃいませんか?
踵の高い靴は身体をウンと硬くし血流を悪くします。

せっかちな方は前重心のかたが多くハイヒールを履いたと同じ結果を招きます。
立位で前屈をされて指は床に届きますか?

体質にあった漢方薬を試されてはいかがでしょうか?

股関節や骨盤のアンバランスもあるでしょう。
それには骨盤歩き(お尻歩き)がおすすめです。

床に腰を下ろし両手両足を前に伸ばす。そのまま肘と膝は曲げないで、左手と左足を前に出し、次は右手と右足を同時に前に出して骨盤で歩く。
早く歩くほど効果がある。1回10メートル以上歩くことが目標。

腰から下が特に冷える由、のぼせがあります。
ということは首が固く頭痛に不眠症とイッパイ出てきますね。

そうすると臍の周囲、特に下の方が固い筈です。
それには気功でいうスワイショウがいいでしょう。
立位で両腕を身体に巻き付けるような体操です」


オイゲン・ヘリゲルが伝授された呼吸法ー1

以下は「無我と無私」からの抜粋である。

最後まで弓を引ききった時、弓は「一切」を包みこむ。だから正しい引き方を学ぶことが大切なのだと師範はいった。

そして師範は邪を払う清めの儀式行った後、一本の矢をつがえて大きく引き絞り、最後に引きはなった。

「さあ同じようにやってごらんなさい。弓を引く時、身体中の力を使ってはいけません。肩や腕に何も力が入っていないように見えるくらい両腕だけを使うのです。」

中位の強さの練習用の弓でさえ思うように引けない著者。弓を引き絞った状態でその姿勢を維持しなければならない。数秒後には腕が震い出し呼吸が苦しくなってくる。
数週間しても全く改善されずついに「どうしてもいわれたとおり出来ません」
と師範に告白した。

「うまくいかないのは、呼吸法が間違っているからです」「息を吸い込んだら腹壁がふくらむようにゆっくり息を押し下げ、そこでしばらく止めなさい。

それから息をゆっくりと、できるだけ一様にはき出すのです。少し間をおいて、もう一度一気に息を吸い込み、ゆっくりとはき出す。これをリズミカルに繰り返すうちに、次第に呼吸が安定してきます。

呼吸が正しくできれば、日一日と弓も簡単に感じられるようになるでしょう。この呼吸があらゆる精神力の源であることがわかり、リラックスすればするほど、ますますたくさんの力が湧いてきて、あなたの手足に行き渡るとようになるでしょう」

あらゆる「技巧」を思案し、挫折し、ついに師匠に「呼吸で引く」ことを伝授される。

やがて肩や腕がリラックスしたままでも、必要なところにのみ力が漲り、弓を引くことを体得する。


無我と無私




「弓と禅」という本がある。オイゲン・ヘリゲルというドイツ哲学者が書いている。数学者の藤原正彦夫妻が最近「無我と無私」と題し新たな翻訳を出版した。筆者の持っている本よりもわかりやすい気がする。

我というのはギザギザの着いた矛が語源である。
私は稲を意味する禾と口を意味するムからなる。飯を口にして自分の物になったという意味かなと思った。ムは鋤の形であり私は耕す人、つまりは農奴を表し私有財産のような意味もあるらしい。

無我と無私、究極のニュートラル、人を傷つけることなく、私することもないということになろうか?

オイゲン・ヘリゲル 1884年ドイツ生まれ。1924年から約6年間、東北大学の哲学の教授として日本に滞在。その間、弓道家・阿波研造のもとで、弓道修行をやっている。

「ああしよう、こうしようと作為をもってはいけない。赤子が次の遊びを発見してしっかり握った手をはなすように、ただ放つのだ」

「では作為的に無為をなすのですか」

阿波研造師範とオイゲン・ヘリゲルの会話が面白い。


立腰

筆者は腰の反りが長いこと課題だった。腰の反りが上胸部・背中に緊張をもたらしていた。

それもある程度は目途がつき、悪しき連動をさせないようになってきている。
そして昔、耳にした立腰を思い出した。

立腰のやり方
 (1)足の裏を床にピタリとくっつける。
  (2)お尻をおもいきり後ろへつき出す。
  (3)反対に腰骨はぐっと前へつき出す。
  (4)丹田(下腰)に力を入れる。
  (5)そして最後に肩の力を抜く。

(2)(3)を読むと肥田式強健法に似ている。
肥田式は見た目は大きく腰を反らせている。そのまま真似て腰を悪くした方がいると聞いている。

(3)で腰を反らせる感じになる。腰骨を前にでなく骨盤と腰骨を固める感じがいいのかもしれない。

(4)は力を入れるは力を入れるではなく力が入るという表現に換えた方がいいと思われる。力を入れると弱くなる。すぐひっくり返りやすい。

(5)は腰の反りと上半身を連動させないためと考える。

立腰=腰の反りと同じかどうか?

筆者の体感でいくと同じに感じになる。
骨盤と背骨の関係はまだまだ試行錯誤の段階である。

丹田に力が満ちて上半身の緊張・力みがなければよしと考えている。


腰が反っていてもいい?

立腰ということばがある。10数年前、耳にしている。

森信三(1896~1992哲学者・教育者)は「立腰」腰を立てるの意で、これを「人間に性根を入れる極秘伝」としている。教育界に大きな影響を与えた方らしい。

腰を反らせるやり方であり、筆者は敬遠していた。だが最近待てよ、腰を反らせてもいい、腰を反らせるやり方もあるはずだと考え始めている。

肥田式強建術も股関節が締まった状態でやれば腰を痛めることはないとヒントはもらっている。

腰を反らせる癖のどこがいけないのか?
筆者の場合、腰が反ると連動して背中・上胸部・鳩尾に緊張が入る。

ならば腰の反ったままで、上半身の力を抜けばいいではないか。

やってみると今までの癖で緊張が入りやすいけれど意識してやれば出来る。
腰が反っていても上半身をゆるめることが出来る。

腰を反らせた立ち方があり、腰の反りを少なくした立ち方がある。両方あっていいのだ。

遅まきながら、やっとそのことに気がついた。




 

耳の引っ張り方-1

首筋をゆるめるには耳を引っ張るといいと教わった。
単純に引っ張るとバランスが整わない。

筆者の場合、左耳は横へ右耳は上に引っ張るとバランスは整う。

耳の上部を後に捻ってから引っ張ると目にいいのだそうだ。これは最近聞いた。

試してみるとこれは右も左も同じようにやればいい。
単純に耳の上部を捻って横に引っ張ればいい。

身体固い人は耳も固いはずである。引っ張ると痛いかもしれない。

上部というところがミソ。これを考えた方は大分実験して結果を出したらしい。

耳の中程だとこうは行かない。下部もそうだ。

耳の下部は後斜め45度方向へ水平に引っ張るといいことがわかった。耳の下部を引っ張るのは何に効くのだろうか?

やっているうちに足の方がホカホカしてきた。

そうか、首筋をゆるめると上下の血流がよくなり、のぼせが取れてくるんだ。

のぼせが消えてくると冷えも取れてくる。



気の流れない腰

「背中が抜けていますね。だけど思っていたより状態がいい。

たいがいもっとよくないですよ」「ぶつから力」の稽古が終わってから肩胛骨の上辺りに手を置いて先生はいった。

「ウン?背中のどの辺りですか?」
「背中の真ん中より下の部分」
筆者の考えていたのと逆の表現である。  

筆者の腰の反りについて何回も書いている。
腰が反っているということは腰椎が詰まっている。
従って気の通りが悪いだろうと考えてきた。

多分同じことをいっているのであろう。
それなのに表現が逆、自分の実感と他者が見たときのギャップがある。

抜けているという表現はフニャフニャのイメージがある。
気が通っていないということは抜けていることになるなあと思った。

骨盤と背骨の関係・筋肉と骨格の関係で腰の反りが出てくる。
大概の方が多かれ少なかれ腰の反りがある。

これが緊張・力みを招く。
そして多くの方がそのことに気がついていない。


植物性乳酸菌




鍼灸師の友人に勧められて昨年の中頃からかな、よく飲んでいる。

コンビニによるとない。1軒目にない。2軒目もない。3軒目にやっとあった。

どこかのTVの健康番組で取り上げたのかもしれない。
筆者がコンビニで買う数少ない商品の一つである。

昨年、買い始めた頃は1軒しか置いていなかった。それも3本しか置いていない。

その3本を買ってくる。それを繰り返していたら最近は6本置くようになり、他のコンビニでも置くようになってきている。

植物性乳酸菌ラブレは「生きて腸まで届きさらに腸で生き抜く力が強い」と書いてある。

筆者との相性もよい。

筆者は長岡式酵素玄米飯を食べている。それでも便秘することがある。

そういうときにこのラブレはいい。朝・晩と2回も飲むこともある。
全くお手軽ではある。


はぶ茶が効いた

1/9,胃がおかしい。胃のあたりが突っ張った感じだ。

数年前、電磁波に過敏になってしもうて、TVやPCのスイッチを入れると途端に胃のあたりが固くなってきた。あのときは参った。症状が似ている。

原因はどうもレッドジンジャーのせいらしい。冷え性対策を書いた。その時に買ったジンジャーテイがなくなりかけていたので、レッドジンジャーとアップルジンジャーを買ってきた。そしてレッドジンジャーを1/8・9に飲んでいる。

ミクシイでの書き込みでジンジャーテイーを飲んで胃をこわしたというのがあってショウガがよくないとか書いてあった。

念のために薬剤師の友人に聞いてみたがショウガが胃に悪さをするなんてことは考えられないという。筆者もそう思う。悪さをしているのは何か他の成分があるのだろう。

買い物に出て帰りにコーヒーを飲んだら胃が少しは収まってきた。コーヒーを飲みながら考えた。

最初のジンジャーテイは相性を見て買った。後で買ったの物は見ていない。こりゃすぐチエックしなければなるまい。

帰ってすぐ筆者との相性をチエックする。案の定、レッドジンジャーはよくない。アップルジンジャーはいい。

順番をつけると下記の通りとなった。
   1 アップルジンジャー
   2 ジンジャーテイー(インスタント)
   3 レッドジンジャー

たかがお茶、されどお茶、お茶でこんなに胃に来るなんて思いもしなかった。

思いついて買ってあったはぶ茶を飲んだ。
するとどうだ。胃のモヤモヤ不快感がスーッと消えた。
はぶ茶って効くんだ。

翌日の朝、今日また胃の突っ張った感じがまた出ている。当分、はぶ茶を飲むことになりそうである、




 

直立しての二本足を使いこなすと

水上を二本足ですごいスピードで走るトカゲがいた。日曜のTV番組である。

最初見たときは石切の原理か思ったがそうではない。高速度撮影した画像ではしっかりと水を掻いている。

人間がクロールで泳ぐ時、腕を廻して水を掻く。あんな感じである。ただこのバシリスクと呼ぶこのトカゲは後ろ足を廻してしっかりと水を掻いていた。

忍者の水蜘蛛を思い出すかもしれないが、あんなもんじゃない。とにかく早い。

後ろ足を水に叩きつける力と水を掻く込む力、そして皮膚に生ずる水泡の浮力を使っているという説明である。

長い尾っぽと後足の片方は水の中である。よくあのスピードで走れるなと思った。

普段は四つ足で生活しているのになんであんな能力を身につけたのか?

人間は四つ足から二本足の生活を選択した。
全重心を二本足で支える。故に立った時の姿勢は重要である。

ちょっとした体重の掛け方で歪みも出る。
また逆に歪みもとれやすいと考えている。

なにもわざわざ踵の高い靴を履くことはないだろう。特に改まった席ではそういうもんだと思いこんでいる。進化に逆行しているのではないか?

人間は直立しての二本足をまだまだ使いこなしていない。使いこなせれば名人・達人への道が開かれるだろう。



波動

「波動」ということばいまや世界に通用する日本語なそうだ。水の結晶写真で有名になった江本勝さんが講演活動で世界に広めた。

だが現実の話、彼の説く水の話は科学の世界では全く認められていない。科学の世界どころが一般的にも胡散臭いものとして敬遠する人が圧倒的に多い。

その証というわけでもないが先日、古本屋によったら彼の著書が105円で並んでいた。

10数年前、「バカヤロウ」「ありがとう」の文字を貼り付けた水の結晶写真を見せられたときの衝撃は今も覚えている。

確かに水は万物の気・波動を受け手千変万化するらしい。

「水は方円の器に従う」ということばがある。気・波動・意識というものが方円の器になる。平たくいえば気が入りやすいということになる。

水だけでなく固体、金属にも気は注入できる。逆に気を抜くことを出来るらしい。

コンビニ弁当がよくない。養豚業者が売れ残りのコンビニ弁当を豚の飼料に使ったら奇形や死産が増えたという話を書いたことがある。

ミクシイにも最近書いた。そしたらコンビニ弁当も浄化?出来ると書き込みがあった。確かに一時的に波動が変わる。

それはその通りなのだが中味の成分が変わるわけではない。物質自体が持っている本質的な物を変えることは出来ないだろう。

だが別の波動は転写出来る。転写の時間を長くすればその波動長く保有されるにしても本質自体の波動の強さはなくならないと考える。


冷え対策

寒い日が続いている。1/5からは寒の入りだ。
今年に入って奇妙な冷えが出る。

夜、布団にはいると足が冷える。起きているときも冷たいのだがそれほどでもない。それが布団にはいると足首と指先だけがやけに冷えるのだ。

足の指先が冷えるのはこれまでもあったが、足首がこんなに冷えるのは始めてである。

昔、痛くなるほどの冷えを体験したことがある。
このときは机に向かっていたときだった。
その時は足の裏の奥の方が痛くなるような感じだった。

その冷えは1年で解消したが若干の指先の冷えは残った。
そして今回の冷えだ。電気毛布は使いたくない。他に何か方法はないかと思っていたら、ミクシイのあるコミュニテイでの書き込みに冷え対策があった。

一部を紹介する。
レッグウオーマー・リストバンドの着用。
岩盤浴・ゲルマニューム浴。
杜仲茶・ジンジャーテイ・梅生番茶の飲用。

特にジンジャーティーはホントかいなと思うようなことが書いてある。
飲み始めて1週間で体がポカポカして来たのは良いのですが、今まで冷え性だったのでこのポカポカが不快(笑)です。

ここ数日ポカポカのため、寝付けないし、外出していても思わず靴下を脱ぎたくなったり、 冷水で手を冷やしたくなったりして困っています。

これは試してみなくちゃと探したが、ない。3軒目にあったのがインスタント物だ。アミノ酸や脱脂粉乳が入っているのが気にくわないがマア実験用にやってみるかと買ってきた。

それと下着は踝のあたりまでの長い物に変えた。

リストバンドやレッグウオーマーは手首・足首を冷やさないいいと思う。コミュニテイでも好評であった。


心と身体をつなぐもの

「心身一如」といい、「心身不二」という。
見えない心と見える身体が一つだという。

昔、合気道をやっていたころ「気というのは見えない世界の働きであり見える世界は見えない世界によって支配されている」と解釈して一端わかったつもりで「気、き、キ」いっていた。それこそいい気なモンであった。

その頃読んだ本に「生活の中の合気道」がある。当時、合気会の師範部長であった藤平光一が書いている。

その中で「体の密なる心と謂い、心の疎なるを体と謂う」という表現がある。
そのころなんだ逆じゃないかと思った記憶がある。想えば全く理解できていなかったということだ。

感情と筋肉は相関関係にあることは知っている。例えば怒りという感情が眉にでれば「眉毛を逆立てる」となる。胸椎の8番にでれば「腹を立てる」という表現になっている。

東洋医学では怒りは肝、憂いは肺、笑いは心、恐れは腎、心配すれば脾に影響するとなっている。

内臓と筋肉の相関関係も研究されている。

心と身体といってもあまりにも漠然として範囲が広い。

意識と筋肉というとかなり具体的になってくる。

狭い意味における、気とは意識の働きと解釈すると少し落ち着く。


右側と左側

人には癖がある。必ず癖がある。

右利き・左利きがある。右利きの方は通常の場合、右側が固くなり左利きは左側が固くなる。

ところが逆になる場合もある。心臓に問題がある場合は左側が固くなることは既に書いた。

それと左肺が悪いと左側が固くなる。筆者の弟がそうだ。右利きなのに非特定型抗酸菌症とかで左肺がよくない。左手が伸びにくい。

左利きであっても右が固くなる場合もある。肝臓に障害がある場合、右側が固くなるらしい。それと右肺が病気が発生した場合もそうなるだろう。

無論、右側を特に使いすぎた場合、左側を使いすぎた場合、使いすぎた方が固くなる。この場合は短期間で元に戻る。

内臓系と運動系はどっちが先かと考えた。どっちもありと今は考えている。

内臓が悪くなって運動系に影響が出る場合もあるし、運動系を使いすぎて内臓を悪くする場合もあると考えている。 

マクロビオテイックの考えでいくと、陽性食品の取りすぎは右側に出るし、陰性食品の取りすぎが左側に出るとしている。

日本人は魚という陽性食品を食べてきたので右側が固くなっている人が多いのだという。


無我

「人は最大の筋力を使うと骨を折ってしまうため,ある程度以上の力を出さないように脳が制御している」という。

ぶつからない力の稽古で筋力を使うと関節が抜けると指摘されている。力一杯ぶつかっているつもりが全然相手に力伝わらないという現象が生ずる。

この文章に出会って成る程と思う。身体をゆらすワークをやった人ほど抜けやすいという。

それはそうかもしれない。ゆらすワークをやっていると気の流れがよくなる。深部筋まで振動がよく届く、身体がほぐれやすい。身体を守ろうとして緊張や力みをチャラにする動きも早くなるのも当然なのかもしれない。

別の解釈も書く。
「我」と文字がある。一説によるとギザギザのついた矛状の武器を表す象形文字であるとか。

その武器を以て自分を示す文字にしたということは古の人は自分自身が人を傷つける存在だと理解していたのであろうか?

人と人は根っこのところで繋がっている。人を傷つけようとしたとき思わずブレーキが働くことがある。

「無我」を手元の辞書で調べると①利己心のないこと②われを忘れることとある。

人はだれでも自分が中心にある。その限りにおいて合気の技も会得すること叶わないだろうと考えている。


鼻息

「足元をしっかり固めた方がいいよ」と筆者はいった。

小さな事業を始めてうまく軌道に乗ってきて、その知人は得意になっていた。

その時、安国寺恵慧のいったといわれる織田信長評を思い浮かべてそういった。

「信長の勢いは3~5年は続く。だがその内に高転びに転ぶでしょう」と書き送った話は有名である。

当時、毛利藩の使僧であった安国寺恵慧は京にあって情報収集を送っていたのである。

それから10年、信長は明智光秀によって本能寺に死ぬことになる。

知人の鼻息は荒かった。信長の鼻息を荒かったのであろう。

それから2年後その知人は黙って姿を消した。

息という字は自+心でできている。

自は鼻の象形文字で自分自身を表す。

呼吸に心身が表現される。

鼻息が荒いときは心身がアンバランになっている。

用心をすべき時である。


ケータイ・PCを相手に観の目になれるか?

嘗て戦闘機乗りはエリートであった。心身共に健康でありかつうんどう神経抜群の者が飛行機乗りになる。

そのなかで選抜されて戦闘機乗りになる。やや劣る者は偵察機あるいは爆撃機にまわされると聞いたことがある。

彼らは厳しい訓練と実践を経て「観の目」になっていく。これは洋の東西を問わない。

日本の戦闘機乗りも欧州各国の戦闘機乗りも同じである。それはそうだろう。先に敵機を発見して打ち落とさないとこちらが命が危ない。

マサイ族の視力は5,0は普通だとどこかのページに書いた。ライオンに喰われないためにそうなったという。

焦点のあっていない目の戦闘機乗りの写真は異様である。不気味な感じさえする。

視力5,0のマサイ族も「観の目」になっているのではないだろうか?

現代人はケータイ・PCで視力0,1以下になる。視力5,0も0,1になるのも人間の能力ではある。

出来ることならば視力5,0で「観の目」でありたい。こちらの方が緊張が抜けて身体が思うようによく動く。

「観の目は敵合近づくともいかほどにも遠く見る目なり、意は目に付き心は付かざるもの也」である。

ケータイ・PCを相手にしながらも、いかほどにも遠く見る訓練をしなければならないということになろうか。