昨日の「立った姿勢と東西南北」で重心の位置によって身体がやわらかくなったり固くなったりすると書いた。
重心により方位が異なるということがわかった。そうすると仰向けに於いても立ったときの姿勢が影響しているのではないか?と思った。
重心は基本的に前重心・後重心・右重心・左重心がある。これに捻れが入るとややこしくなる。
実際は前後の重心と左右の重心が入り交じって存在する。単独に存在することはない。
前後の重心の場合は南北と相関関係があるらしい。人体は構造上、多かれ少なかれ前重心である。その限りに於いて南北は基本となる。
学問的には足の指先と踵の中心を0とする。多分これよりも前重心になると北枕、これよりも後に来たら南枕である。だが本人の0ポイントとは異なると思われる。
立位で右重心だと西枕、左重心だと東枕と考えた。これは筆者の仮説である。重心は固定的なものではない。従って北枕も固定的なものではないと今回考え始めている。
ただ人の習慣は固定的なものと考えられるので非日常的な身体の使い方をしたときに重心が変わると思われる。例えば久しぶりにゴルフにいったとか、足を怪我したとかである。
仰向けだと寝にくい方やうつ伏せが辛い方もいるし、一概に前・後・左・右重心だけで考えるわけにはいかない。でも考える方向としては間違っていないだろう。
前後重心と左右重心は混在している。身体はどっちを優先するのか?多分、前後重心を重視していると考えている。そこから「北枕がいい」が出てきたものとであろう。
上記は今後の検証を必要とする。
それから人体は多層構造とする見方がある。生身の身体としては北枕をベストであろう。一時的に重心が変わった場合は別である。生身の身体以外の身体からはまた別の要求があるかもしれない。
筆者のブログを読んですぐ理解されて克つ筆者より先へ行く方がいる。少なくとも3人はいる。
このブログにヒントを得て更に先へ行く。皆さんすごいセンサーの持ち主というか身体が出来ているといった方がいいのか?
オッすごいセンサーだなと羨んでみても始まらない。筆者は筆者で自分の身体と向き合っていく以外にない。
筆者とて彼らのいったことや書いていることでヒントをもらい先へ進めること多々あることである。
身体が変わると新しい発見がある。身体が出来てくると一言のヒントで先に進めるのだ。
とにかく10年くらい前までは筆者は鈍かった。運動能力では人後に落ちた。
先はまだまだ長いがここまでこれた。人間の身体はすごい能力を持っている。
人間のこころもからだも生きていくための道具である。それを使いこなさなくっちゃ。
5/28「人間関係とストローク自主研究会」でワークのあとに受けた質問である。
「歪みの一番の大本はどこですか?」と聞かれた。
身体に合わないものはストレスである。
ストレスは歪みである。
歪みはは目に見えるものである。
と話してきた。質問をされた方は心理学の職人を自負する
自己回復総合研究所の藤森弘司さんである。
「それは頭と足でしょう。道という字は足と首により構成されています。地球の重力に対して頭、地球の遠心力に対して足になります。頭あるいは足のわずかな変化が歪みをもたらします。」
と答えたのだがこの回答は彼を満足させなかったらしい。二次会で「歪みの根元は横隔膜でしょう」といってきた。
それを聞いて筆者は思った。肺自体は動けない肺を動かすのは胸部・背部の筋肉を主体とする筋肉群と横隔膜である。
横隔膜といい切っていいのか?と疑問を持った。筋肉群か?横角膜か?である。どちらも歪みを形成の根元ではある。
女性の方で横隔膜を使わなくなった方がいる。仰向けでお腹が全然動かないのである。これも歪みだしなあ。赤ちゃんのお腹はよく動く。
ここで思い出したのは西原克也氏の説である。肺がどのようにして出来たのか?魚が陸上に取り残されたとき身体をバタバタ動かすことによって血液を送り全身に酸素を供給するようになった。その後、空気の取り込む器官としての肺が出来たのだという。
そうだとすると横隔膜が出来たのは更にその後である。
「発生学的見地から歪みの根元は筋肉群である」と翌日になってようやく落ち着いた。
現状を受け入れる。これってなかなか出来ない。病気や怪我・ギャンブでル失敗・左遷等々。でもそれは結果、過去のこと。
過去は受け入れる意外に方法がない。いつまでもクヨクヨしていては文字通り始まらない。いい経験になったなんて思えるようになるのは,はるか先のことになる。
現状に不満がある、不満があるということは受け入れることの修業の場が与えられているということにほかならない。
今の職場に不満だらけで職場を変わりたいと思っている。現状に不満があるということは、希望の職場に移っても移った当初はいい。
でもやがてまた不満だらけになってくる。人間は考えることが出来る。過去のことも未来のことも考えることが出来る。
「過ぎたるは及ぶべからず、来たらざる向こうべからず」である。
現状を受け入れる。そこで「ありがとうございます」いえるとさらにいい。
微笑みと共にあるといい。
守護霊というものがいるならば常に自分自身にベストのものを運んでくると思った方がいい。
久しぶりに風邪を引いた。1月くらい前、鼻水に悩まされた。2〜3日で治まったかなと思ったら下唇に赤い斑点がでた。
それはほぼ消えたつもりだがよくみると少し残っている。11日,声が出ない
。出てもガラガラ声になる。
12・13日は咳だ。明日28日は「人間関係とストローク自主研」でしゃべらなくちゃならない。風邪は毒出現象だから忌避するつもりはないが、辛い症状は困る。
筋整法の亀井進の講義録をひっくり返して咳を止めるやり方を探した。
右肩胛骨内側中程から下角まで胸椎の5・6・7番あたりが緊張している。そこを揉んでもいいし叩いてもいいし。刺激は早いほどよい。そしてポカポカしてきたら両手を挙げて深呼吸し息を吐きながら下ろす。これを三回くらいやる。
早速やった。咳は取りあえず治まった。ただ途中でやり方を変えた。右肩胛骨中程から下の部分を湯飲みで叩いた。
これなら明日の会もお話は大丈夫そうである。
治療後にまた痛くなる場合二つのケースがあります。
1は揉み返しです。これは強揉みの場合です。強く揉みすぎたために身体が自己防衛のために固くなるばあいです。繰り返していると身体は固い方へ固い方へと次第に固くなっていきます。
2は治療によって固い部分がやわらかくなりますとそこの細胞が目を覚ましてきて敏感になってきます。
それ以外にもある。凝っていたところがまた凝ってくる場合である。コリが消えたとしても身体の動かし方が変わったわけではない。
癖はそのまま残っている。同じ場所に同じ負荷が掛かる。また凝ってくる。
何十年も使い込んだ身体の癖や生活習慣を変えるというのは大変な困難がつきまとう。
コリ・痛みを軽減する軽い体操・姿勢・歩法を覚えて毎日実行することである。
方位と合掌だけで身体は変わる。一直線平行歩きをやっていれば歪みは防止できる。
短時間でいいから毎日続けることである。
重心は内踝の下をよしとする本がある。高名な方が書いており本も沢山出している。
これを読んで筆者は疑問を持った。そうだろうか?内股外股がある。O脚・X脚がある。足裏内側から外側への傾斜がある。足裏後方から前方への傾斜がある。それぞれに左右差がある。そうしたら仮に右足が内踝下でも逆側は同じではない。
HPやブログに書き始めてから、筆者の重心は最初踵の中心から拇指丘へ、次いで踵の中心から拇指と第二指の間へ、そして更に外側に行くような感じである。実際はそうではなく拇指丘への負荷が少なくなった分そう感じているのかもしれない。踵の中心から拇指丘へ時代なら内踝の下という表現でもいい。
筆者の靴底は踵外側の減りが大きい。筆者はO脚であり足先は外に開きたがっている。だいぶ改善したし膝をくっつけようと思えば軽く付くまでにはなっている。この状態だと踵外側が減りやすい。着地の際、踵外側が強く当たることになる。
指先がきちんと前を向いて着地していれば踵の片減りは起きないはずだ。例の健康シューズを履いて二ヶ月経つ。左足はいい。右足のつけ根拇指丘のあたりに痛みが出た。ハイヒール現象だなと思った。中央部が高いので立ち止まっているときに前重心になる。
右足の方は外反母趾を治すためにだいぶ訓練したので負荷が掛からない。左足の方は右足に較べると指先が前を向いていて横の開きが小さい。それで拇指丘に負担が掛かりやすい。拇指丘に負担の掛からないように小指側ラインを意識しながら歩いている。すると痛みはこない。
「足は親指、手は小指」ということばを聞いたことがある。手は小指を締める。足は親指を踏ん張るという意味にとっていたが違った。
どっちも力を入れないという意味だとやっとわかった。
そういえば前に読んだ本に剣が滑り落ちるくらいの力で握れと書いてあった・
最近気がついたことであるが歯を磨いているとき、あっ膝が緊張しているなとゆるめている。ここのところ毎回である。
今度の歯医者で歯歯の間の掃除もするように指導を受けた。今までの歯医者ではいわれたことがない。それで歯の隙間掃除用の細いブラシを使っている。
それを歯の隙間に入れた途端であるる。あっ膝だと膝に感覚が行く。鏡を見てやっているからかもしれない。「人は鏡」を2編書いた。
鏡の自分に反応?人はお互いに反応し合っている。鏡の自分に反応して自分の修正箇所に気がつくようになれば自動的に進歩するだろう。
鏡を見てピンポイント微動がもたらしたのかもしれない。昔、太極拳を始めた頃これはゆっくりやることに意味があると思った記憶がある。
同じようにピンポイント微動が身体感覚を目覚めさせるらしい。
膝をゆるめる。この感覚も人によりまちまちである。まあ膝のことなど普段考えない。
立ったとき膝をゆるめる、大変重要なことである。「膝の抜き」という武術上のことばがある。
同じくらい膝を伸ばすことも重要だと思っている。ゆるめると伸ばす混同しやすい。ゆるめて伸ばすそのバランスが大事ということである。
以前勤めていた会社に入社して現場実習の際、大変世話になった方がいた。
その方が入院した。肝硬変の由。酒なんか飲めない方である。聞くとだいぶ重症らしい。
その頃、筆者は部品倉庫に配属されていた。そんなに忙しくない。朝、合気道の道場で練習をし出勤していた。
気のことなぞよくわかりもしないのに気イー気イー、気イー気イーいっていた記憶がある。
遠隔治療ということばも知らなかった。知らなかったけれど気を送るつもりその入院されている方を思った。暇だから毎日やっていた。
ある時、返事が来た。「もういいよ、大丈夫だよ。もうやンなくても大丈夫」
といわれた気がして翌日から止めた。
まもなく元気になって、あと1週間後に退院するというニュースが伝わってきた。
ところが明日、退院するという前の日、梅酒が飲みたいといい出しておちょこに一杯飲んだ由。
それからである。様態が急変し亡くなった。
その後、マクロビオテイックのセミナーで聞いた話。
「重症の病気になり体内に貯まった毒が排泄されようとするとき、急に特定の食べ物が欲しくなる。そのときその食べ物を入れると死ぬぞ」
亡くなった方は甘い物が好物だった。梅酒の砂糖か?あるいは梅に含まれているという微量の青酸か?
それはわからない。わからないがセミナーで聞いて納得していた。
健康シューズのことを書いた。この靴をすすめてくれた本人の健康シューズの靴底の減り具合は筆者に較べるときれいに減っている。
筆者は踵後外側の減りが大きい。普通の靴だと可成り修正できたつもりだったがこの靴だとまた目立って偏った減りになる。
それから奇妙なことに踵の後側面内側が大きく減っている。ポコッと直径5センチくらいが擦り減って凹みを作っている。
どう履けばこうなるのか?思いもよらない減り方である。そういえばメールで踵落としを応用した歩き方を考えたとかいっていた。
簡単な治療の技で踵を叩く法がある。アキレス腱の起始部を叩くだけだが叩く位置・角度等は右左で若干工夫を要する。
筆者はそれを応用して自分でやる方法を考えた。腰を下ろした姿勢で、足を上げて落とすだけ。これだけで20回もやればバランスが整うのである。
この靴は天狗様の一枚歯の足駄をヒントに作られたという。この靴だと踵落としを歩きながら出来るのだ。
だがそれならば踵の後エッジの部分がもっと減るはずと思った。だがあまり減っていない。それはこの靴底の傾斜した角度のせいで摺り足と同じ効果があるのか?
この文を書きながら彼のきれいな靴底と筆者のきれいに減っているとはいえない筆者の靴底を思い浮かべている。
「天丼のちょっと大きい俺のエビ」という川柳があった。
誰でも人との比較をやりたがる。企業もそうだ。三比主義がある。いわく前期比・平均比・計画比である。「隣の芝生が青く見える」ということばもある。
ぶつからない力の稽古のとき、相手の状態がよく見える。例えば手に力が入りり過ぎるとき一言、「お互いの手の間に紙一枚の隙間をつくって」と相手の方にいうと出来てしまう。
「この手を発泡スチロールだと思って」というのもあった。
「越前くらげになって」といったら出来た話は書いた。意識が途中で切れる場合は「床まで落とす」というと出来る。
考えながらやっていると出来ない。その場合は「もっとスピードを上げて、1/100秒でやって」いうと出来てしまう。
適切なひとことが相手にとって一番効く。即できてしまうのである。2回目3回目になると成功体験を追いかける、それは違う動きになる。
当人は同じことをやっているつもりだが、なぞっていることは適切だったひとこととは別なことである。そこがわかりにくいところではある。
野口晴哉はそれが大変うまかったらしい。病人の気持ちをひとことで転換させて治してしまっていたという。
相手の状態がよく見えるというのは受けを取るときはなにもしていない(いわばリラックス状態)。だからよく見えるといわれてそれはそうだと納得。
さて自分の番になったらどうかというと俄然やる気になり余計なこといっぱいやり出す。当然、技にならない、相手は全く動いてくれない。
やる番になってなにもしないなんぞは矛盾している。さっきは自分のひとことで相手の技はよく効くようになっているのに自分のは全く効かない。
相手にいったことを自分でもやっているつもりが別なことになっている。「なぞる」「考えるは別物なのである」「相手の真似をする」も違う。真似をするのならそっくりそのままコピーする意外にない。
こんなことを書いても稽古に来ている方はわかるにしても一般の読者の方には超難解な部分である。
「名コーチ」といわれても自分が出来ないときは複雑な気持ちになる。
それは自分自体のことでもあるらしい。相手の現状がひとことで表現できるということはそれは自分自身の現状を的確につかんだことにもなる。でもそうは思わないし思えないのが普通である。
自分の内にあるものが相手を通して見える・感じるらしい。「人は鏡」とはよくいったものである。
間という字は「ま」であり「かん」である。時間・空間そして人間(ジンカン)の三つの間があるとか。それらをつなぐものは呼吸?意識?気?
人間はにんげんとじんかんの二つの読みがある。ホモサピエンスや人柄の意味が一つある。もう一つは世間や世の中を表すそれはじんかんである。
ヒトは直立二足歩行を選んだが故に天地の気を一番密度濃く浴びている。地の気を陽ー求心性、天の気を陰ー遠心性とする。
地球は自転しながら太陽の周りを回っている。引力と自転による遠心力は常時働いている。常時働いてはいるが同時に月や太陽の引力の影響も受けている。
それは時間によって変化するものである。
その気を正確に体内を通すこと、それは大変重要なことである。それが姿勢を正すという意味であろう。
天地の気と共に人の気がある。姿勢が正しければ人の気に動ずることもなくなってくる。
だが姿勢を正すとうるさくいう人はいなくなっている。なにが正しい姿勢かもよくわからなくなっている。
姿勢はニュートラルポイントにあってしかも力みが抜けているのがベストと考える。
背が伸びて見えるドラマーのことを書いた。ぶつからない力の稽古の最中にである。
聞いたらなんにもやっていない、考えることを止めただけとのことであった。
今度は横に広がる方に出合った。背はそれほど高くない。センターが大きいのかなと思ったがどうも違う。
センターも太いのかもしれないが、まるで巨木の感じなのだ。これはオーラー?筆者に振り棒の話しを思い起こさせた若き鍼灸師の方である。
3.5キロの鍛錬用の重り(片手振り棒?)を片腕で振っていると聞いたことを思い出した。多分そのせいだろう。
毎日やっているからその雰囲気が体外にあふれ出す?意識体というのがこれらしい。
背が高く見えるドラマーの方は多分、ドラムをやっているとき姿勢を念入りに注意をしてやっていると見た。
考えることを止めるとその気?が溢れ出すとしたらこれは気を出す秘訣になるかもしれない。
筆者は正座をすると両膝の間が開かなくなった。意識してそうしているわけではない。
立ち方・歩き方をいろいろ試みている内にそうなった。普段はあまり正座はしていない。
膝が開かなくなったのはいいことと考えている。正座すると両腿平行になり、それに対応する背骨はまあ直角90度、太股とふくらはぎは平行180度になる。90度・180度は身体の方はわかりやすいらしい。
立ったときはどうか?両足が30度くらい開く。一直線平行歩きを心がけてきた。
以前は60度くらいに開いていたし開き方も左右差があった。
左右差があるほど着地の際、強弱が生まれる。それが歪みにつながる。
筆者の今の体形で行くと内股にした方が胸の緊張が取れやすい。外股にすると俄然、胸に緊張が入る。7〜8年前の筆者は身体を固めていたからそういうことが全くわからなかった。
内股だって外股だって左右差があろうとなかろうと、緊張しない立ち方はあると思うのだが今の筆者は内股の方が歪みが出にくい。
歩く推進力はどこから出ているのだろうか?普通は後ろ足の蹴る力とされる。
引き上げた足を下ろすときは引力にしたがって下ろせばよい。これも推進力の筈だがあまり触れられていない。
後ろ足よりも前足の方を意識して歩く。これだと後ろ足は前足に引き寄せることになる。
ところが小笠原流の練り歩きになると足は上げず、床面から足の裏を滑らせるように歩く。いわく「歩き10年」ということばがある由。それだけ歩きを重視しており、歩きは難しいということである。
先日は呼吸塾ワークショップにご参加いただきありがとうございました。
貴女様は手技療法を学ばれ、既にバンザイ検査の感覚をお持ちです。いい刺激か悪い刺激かおわかりになります。
ストレスは元々、ゆがみという意味でした。ある国語辞典では「からだの疲労や精神的な無理によって体内に起こる歪み」とありました。
身体に合わないものは身体にとってストレスであり、歪みになります。この前、南枕でやりましたが、身体にとって仰臥位ではこの方位はストレスになります。
敢えて南枕でやったのは相性を見るのに、この方がわかりやすいのではないかと思ったからです。
南枕自体がストレスですから長くやっていると痛みも出る場合もあると認識いたしました。貴女様のように敏感な方の場合はなおさらです。
仰臥位の場合は北枕です。北枕で相性チエックに慣れてください。
仰臥位・北枕でチエックできるようになったら立位・座位でも出来るよう工夫してみてください。
いろんな健康食品がやたら出てまいります。宣伝に惑わされることがなくなります。
5/14、呼吸塾にご参加いただいた50台の女性。手技治療をお仕事としているご様子で、バンザイ検査も殿屈検査・4の字検査もご存知でであった。
感覚もシャープな方である。
いろいろやって南枕で腕時計との相性を見ていたときである。筆者の腕時計が余り悪さをしないのが意外だった。彼女の時計を右手・左手の内側と外側でどこが一番いいかチエックしているうちに背中に痛みが出たという。
「あまりいい方法ではないですね」といわれてしまった。南枕でやったのはその方が歪みが出やすくわかりやすいかなと思ったのだが、ちょっと時間が長すぎたかもしれない。
北枕で寝ているだけで歪みが取れてくる。南枕でやっていたら歪みが出てくる。だが痛みが出るなんて古傷があったのかな、とそのときは思った。
1日置いて16日そのことを思い出しながら南枕で実験をやっていたら筆者の左背中に痛みが出てきたのである。
そこは2週前にOさんの重心調整でかなり強い刺激がはいったところである。
仰向けで南枕はよくない、歪みが出てついで痛みも出る可能性がある。今後は南枕は北との比較のみにして、相性テストは北枕でやることにする。
立った姿勢では南向きがいい人と北向きがいい人がいる。だが今まで見た範囲であるが仰向けでは北枕がよく、南枕はよくないという結果になっている。
呼吸塾のHPに
「歩きながら身体のバランスが回復します」というページがある。
「かかとの中心と拇指丘の中心を結んだ線上に重心を下ろして歩くのです。かかとの中心から下ろし、拇指丘の中心で蹴る。」と書いてある。
1度どこかのページに修正を書いている。本文の方はそのままである。読む方はさまざまである。
本文の表現が合っている場合もある。歩き方に関心を持ち始めのときはこのほうがいいかもしれない。
「かかとの中心と拇指丘の中心を結んだ線上に重心を下ろして歩く」という表現に出合ったとき、筆者はその時それでよかった。バランスが整った。
一直線平行歩きをやっているとこの表現が筆者に合わなくなる。第一指と第二指に重心が抜けていく。その方がバランスが整う。
拇指のラインを平行にして立ってくださいといっても多くの方が平行にしているつもりが平行でない。
読む方の感性と身体の状況で受け止め方ががらり変わる。筆者の意図するところが伝わりにくい。
ご自分で実際にやってみてバランスが整うかどうか?だと思うのだがその判断がつかない人が多い。
「かかとの中心から下ろし、拇指丘の中心で蹴る。」もそうだ。古典芸能・武術の世界では歩くとき蹴るということはない。通常はすり足である。
日常、蹴らないように歩くには工夫が必要となってくる。
指回しをやって止息5分出来たことを書いた。普通は1分が限界である。
人はイヤなことをやっていると息を止めてしまう。苦痛があると息んで耐えようとする。
その時はおそらく30秒くらいが限界で息継ぎをして、また息を止めて我慢するだろう。
このときは全身の筋肉運動をやっているようなものでエネルギーを消耗する。
逆に楽しいことをやっているときも呼吸を止めてしまう。「寝食を忘れて打ち込む」というけれどこの時は呼吸も忘れている。
呼吸しているのがわからないくらいに浅いか、限りなくゼロに近づことになるだろう。
このときは筋肉の負担になることがない。したがってエネルギーロスもない。
「寝食を忘れる」というけれど寝食をきちんと取る必要もなくなる。
酸素も沢山は要らなくなってくる。
「不食」「不眠」「不息」が誕生するかも????
「自利神経失調はどうすればいい?」と美容師のNさんからの電話である。
「お医者さんはよくわからない病気はそういうよ」
すべての病気は全部自律神経と関係している。だからうそではない。医者じゃなくて鍼灸師にいわれたという。
「不整脈なんだよ」
「いつからですか?」
「1週間ぐらいだな」
「心筋症でコロッと死ぬのはイヤだからな」
「まだまだ当分、死ぬようなことはないですよ。じゃ左肩が硬いでしょう」
「うん、硬い」もう1ヶ月以上も来ていない。
「来ればいいのに!」
「うん、忙しかったんだよー」
「何か心配事がありました?」
「うん、家族のことでね」
翌日やってきた。背中を見ると背骨がよくくねくねと曲がっている。昨日はゴルフの打ちっ放しにいった由。これだけ曲がっていたら調子も悪くなるだろうし、ボールの飛び方も気に入らなかっただろう。
左胸椎の1・2番のところに筋張った細いコリがある。そこを指を当てているとやわらかくなってきた。検査をすると股関節の左右差・左足の小指の硬いのも右足親指の硬いのも、左鼠けい部の圧痛みな取れた。
実によく効いた。ほんの2〜3分である。技は一発で決める積もりでやれ、それが技に切れ味を高めるんだと教わった。
木曜会のことを書いた。南を向いたときと北を向いたときに、前屈の差がある。
通常の場合、南を向いたときがよく曲がる。実際出てもらった二人の女性は南を向いたときよく曲がった。
ところが
木曜会の主催者田村さんがご自分は北を向いた方がよく曲がるとおっしゃる。これで3人目である。
12月に見えた男性が1番目、2番目が筆者である。筆者が南を向いた方がやわらかいと自覚したのはごく最近1ヶ月か2ヶ月前あたりからである。
仏壇や神棚は南に置けと古人はいった。南を向いた方がバランスが整うことを古人は知っていたが故であると書いた。
じゃ何故南を向いたときよく曲がるのか?
ストレスは歪みである。ストレスがゼロに限りなく近づいたとき筋肉バランスが変わるのではないか?変わるというより一番いい状態になるのではないか?
筋肉には伸筋と屈筋がある。ストレスがあるときは屈筋が主役である。ストレスがゼロ状態になったとき、伸筋がというより今までの反動で逆の現象が出るのではないか?
屈筋が硬くなっていれば曲げにくい。拮抗筋である伸筋も硬くなっている。ストレスが限りなくゼロになったら屈筋はやわらかなるだろうし、伸筋もやわらかくなるだろう。
田村さんが北を向いたときのほうがやわらかいというのはダイヤ(持つ人の滞
った気を消してしまうオンリー・ワンダイヤモン)を選べるようになったことと関係しているのかもしれない。
筆者の場合はぶつからない力の稽古を通じて力みを出さない立ち方が身に付いてきたのではないか?筆者も少しは進歩していると考えている。
そう考えると12月に見えた若い男性はとんでも無い大物かもしれない。
木曜会でまた時間をいただいた。
「五十肩の方はいませんか?」といったら1人手を挙げた。五十肩でなく事故で痛めた由、左手が挙がらない。
「肩こりの方は?」これも1人だった。
たいてい2〜3人はいるのだが今日はこのお二人の女性だった。
前に出てもらった。まず筆者が背骨の曲を見てからお互いの背骨の曲がりを確認してもらった。
それから北を向いて前屈、南を向いて前屈をしてもらい、楽な方を向く。
お二人とも南を向いた方がよく曲がった。
それで南を向いて合掌し、お一人はゆっくり呼吸をする。もうお一人は「ありがとうございます」を30回唱えてもらう。
結果はありがとうございますを唱えた方の女性がガラリ変わって、驚くほどやわらかくなった。感覚のシャープな方らしい。こんなことで肩こりは取れるんです。
もうお一人のゆっくり呼吸をした方は両手を挙げてもらっても変化したようには見えなかったので、合掌両手ゆらしとおしゃかさまゆらしもやってもらった。それでも見た目変化ない。本人は楽になった由。
合掌+ありがとうございます(ゆっくり呼吸)+南向きと三つのワークを同時にやったわけである。上記は逆だったかもしれない。逆にやっても効果は同じ筈。
終わったあとでお互いに背骨を確認してもらう。すると真っ直ぐになっている。一つだって効く。それを三つ一緒にやったのだから効いて当たり前。
腰砕けが課題だった。筆者だけでなくぶつからない力の稽古に参加している多くの方がそうだ。真っ直ぐに立つことはぶつからない力の稽古において厳しく検証される。真っ直ぐに立てなければすぐ腰砕けとなる。
昨日書いたように前半は力みまくって不可。後半は別人のごとく変わった。
腰を固めるにはどうしたらいいか?と出来る方に聞くと「ちょっと意識すればいい」と事も無げにいう。出来る方にとってはそうなのであろう。
出来ないものにとってはどうすればいいのか?全くわからない。だがようやく昨日、手掛かりを得た。
以前にも同じ感触を持ったことはある。あるがそれは継続しなかった。今回は大丈夫そうな感じではある。
1 鳩尾あたり及び上胸部が出っ張ってはダメ、凹んでいる必要がある。
2 だがそこに緊張があるとダメ、効きが悪い。
3 透明な鉛直パイプが身体の中心を通っている。
4 前重心ではダメ、後重心というか踵に体重が乗っている。
5 膝は突っ張っていない。
6 屈筋と伸筋がどっちも緊張していない。
7 両足を広げすぎない。
大事なのは1+2と3である。どっちがが出来ると腰砕けは解消されると考えている。
だが翌日同じ状態を作ろうとしたが3は出来なかった。他は出来る。例え出来たとしても次のステップの邪魔をするかもしれない。だが今は腰砕けをクリヤしないことには先に進めない。
真っ直ぐに立てば歪みは消えていく。歪みが消えれば内蔵の働きもよくなり健康になると考えている。真っ直ぐに立てばそのままで技になる。
自分は真っ直ぐのつもりでも曲がっているし、どこか緊張させて立っている方がほとんどである。真っ直ぐに立てているかどうか、ぶつからない力の稽古ですぐ答えが出る。真っ直ぐならば技が効く。
真っ直ぐでなければ「腰砕け」「腰抜け」になる。真っ直ぐでないということはどこかにに力みがあるということである。
力みがあると腰の力が抜ける。自分では力一杯やっているつもりが全然相手に伝わらない。相手は平気である。
昨日のぶつからない力の稽古で少林寺拳法をやっている方と組んだ。お互いに技が効かない。腰砕け状態になる。やっているうちに相手の欠点が見えてきた。
頭部が髪の毛でつり下げられている状態でやってというとすぐに出来た。何しろ身体感覚抜群の方である。技が効かないときは胸が本の数ミリ前に出ている。それをいうとすぐに修正をする。そしてまた技が効くようになる。
早くやると髪の毛の意識が切れる。当然、技が効かない。
筆者がやる場合もそうである。自分の体勢を整えてゆっくり意識を切らないようにやると技になる。
相手を倒すほうに意識がはたらくと技が効かない。とにかく自分の体勢をくずさない、意識を切らないようにすることが一番である。
筆者の場合、既に何回も書いたように腰の反りがいつも問題である。腰が反ると胸に緊張が入る。そして技にならない。
その腰の反りも幾分かは改善されつつある。腰の反りが消えたところで胸の緊張が消せると腰砕けにならないらしい。
これは大きな収穫であった。腰砕けをどうやって解決するか?皆目見当もついていなかった。
人は鏡というけれど人に欠点を指摘するということは自分の中に同じものがあるということである。
先月始めの木曜会で呼吸のお話をさせていただいた。そのとき北枕のことを話し北枕でお休みの方は?と聞いたら3割くらいかな、手を挙げた。もっと多かったかもしれない。
そしたら今度のメルマガで見えない世界が南枕にというメッセージを送ってきているというのである。 以下要点のみ書くと
腰が痛い、というお客様の原因を振り子で聞いて解明した。多くの質問で詰めていって「北枕がいい?」と聞くと「ノー」であった。そして、何と「南枕がいい?」で、振り子は大きく右回りに回った。見えない世界が示唆してくれたことになる。
通常、北枕がいい。南枕がいい場合はどういうときかと考えた。
頭に浮かんだのは寝るときは仰向けであるのに、朝起きるときはうつぶせになっている女性のことである。これは南枕で寝ていたからと前に書いている。これとは違う。
おそらく本人かあるいは信号を送ってきた祖霊かわからないが、背中が硬いと思われる。背中が硬いと仰向けで寝ることが辛いときがある。本人がそれを意識しくとも仰向けで寝ていると呼吸が止まる場合がある。
したがってうつぶせの方が楽である。それも南枕の方がいい。真南の方がいい。南枕で横になると歪みが出にくい。呼吸が楽になる。
筆者の施術を受けている整体師Oさんがそうだ。背中が硬い。背中が硬いと仰向けになるとさらに負荷を掛けることになる。
肺を動かしているのは運動系の筋肉である。それが硬くなると呼吸が浅くなる、息を止めているときも出てくる。睡眠時無呼吸症候群の始まりと考えている。
「人間関係とストローク自主研修会」でお話をさせていただく。その資料にいいなと思って伊藤園の宣伝ポスターをもらってきた。
この前のときは耳の話、福耳が何故出来るのか?という筆者の仮説をお話しした。
今回は鼻の話である。耳が先天的生命力(腎系)を示すものならば、鼻は後天的生命力(肺系)というか現在の体調を示すと考えている。
ベッカム・野茂・清原・松井の鼻について何回も書いてきている。鼻がシンメトリー(左右対称)で、ゆがみがでていないならば体調はいいはずである。
ポスターのモデルはモックンと宮崎りえちゃんである。りえちゃんの鼻は真っ直ぐである。モックンの鼻は曲がっている。
ところが宮沢りえちゃんの名前が出てこない。翌日、宮沢という姓は出てきたがりえが出てこない。半日もしてようやく思い出した。
なんとも記憶のガタ落ちに愕然とした。橋爪功さんの名前も出てこなかった。
週刊朝日の最後の方に似顔絵のページがある。若い方に似顔絵だとほとんど名前も顔もしらない方が多くなってきた。1ページ丸ごと知らないとショックである。
「これ誰だ この歌なんだ 年の暮れ」という川柳があったが、まさにそんな心境である。
記憶力は衰えた。年のせい?だが直感力はよくなっている。自分ながら鈍い男と思ってきたが最近はそうでもない。
左手の知能線が手首まで伸びたことは既に書いた。どうも筆者の場合、記憶と直感は両立しないらしい。
あるいは歯が関係しているかもしれない。左上の歯を抜いて2年経つ。左側の筋力がガタ落ちしていることは書いた。
その分、右側が硬くなったのかもしれない。右側は左脳とつながり記憶と関係しているといわれている。
ストレスは身体の歪みである。身体の歪みはストレスである。まっすぐ立てばストレスは消えていく。
真っ直ぐに立つ。力まずに立つ。真っ直ぐに立つから力まずに立てる。力まずに立つから真っ直ぐになる。
真っ直ぐに立っているつもりでも真っ直ぐでない。力んでいないつもりでも力みがある。
普段そんなことは考えもしない方がほとんどである。いわれてもわからない。どこか痛くなって始めて気にし始める。
胴づくりで検索したら「胴はただ常に立ちたる姿にて、退かず、掛けからず、反らず、屈まず」と小笠原流礼法の伝書にあるという。
ニュートラルポジションと前に書いたがまさにそのものではないか!!
真っ直ぐに立てたら呼吸はおだやかになる。左右の肺に入る空気の量が同じになる。だから歪みが消える。
おだやかな呼吸が胸のほむらを消していく。
人の身体は地磁気の影響を受ける。気温や気圧の影響を受ける。でも真っ直ぐに立てる。「立」という字はその象徴である。
「呼吸は見えないこころと見える身体を繋いでいる架け橋であり、身体は見えないこころ(内的環境)と気候風土(外的環境)の表現体である」

「溶けて流れりゃみな同じ」というお座敷小唄のフレーズについて書いた。
書いていて思い出したことがある。昔、中村天風先生が奥様を亡くされたときにお墓に刻み込んだ漢詩がある。記憶に頼って読み下し文にした。
先天一気即ち霊源
無為にして自然に付す
人生亦此掣肘の内
万物還元して大霊に帰す
「溶けて流れりゃみな同じ」と同じではないか?
「人の本体は絶対の霊魂であって心も身体もこの世で生きていくための道具である」と教わった。
教わったからといってすぐそう思えるようになったわけではない。だがそのことばを思い出すことによって自分を客観的に見るようにはなってきた。
悩みにこころを占領されているようでは道具に振り回されていることになる。
「こころひとつの置き所」も天風先生の口癖だった。こころの置き所次第で悩みも悩みでなくなる。
人対すると緊張が生まる。「自他一如」にはほど遠い。
ある武術系のHPで「溶けて流れりゃみな同じ」というフレーズを見つけた。
ノーエ節だったかなと思ったら違った。「お座敷小唄」和田弘とマヒナ・スターズである。
「富士の高嶺に 降る雪も 京都先斗町に 降る雪も 雪に変りは ないじゃなし とけて流れりゃ 皆同じ」
「苦楽一如」「静動一如」なることばは紹介した。だが3次元世界は対立の世界である。
無?空?から対立が生まれてまた無・空に戻っていく。
筆者はひとりで立つには地磁気の影響なく真っ直ぐに立てるようにはなった。歪みを出さないで立てるようにはなったという意味である。
だが人と対したとき緊張が入る。入ったら技にならない。
この緊張解消用のおまじないに「溶けて流れりゃみな同じ」というフレーズが使えるかもしれない。
緊張はやがて消えていく。やがて消えていく緊張を今消せればいい。
対立の世界にあって対立をなくす。そこに技がうなれる。
スポーツ新聞の見出しである。
米女子ゴルフツアーに参加の宮里藍ちゃん連日追い上げて2位で最終日を迎えた。
結果は5位と優勝に手が届かなかった。そこで涙を流したとある。
入るはずが入らない。ここぞというとき外す。当然そうなる。1年前に耳に穴を開けている。今後も口惜しい思いをするだろう。
身体にとってはストレスである。これはズーッと残る。手術や打撲・転倒なども医学的には完治であっても後遺症が残る。
プロであるからには耳に穴など開けないことである。いまや女子ぷろゴルフフアーの半数以上が耳に穴を開けている。
やわらちゃんもそうだ。正月の写真ではピアスをつけていた。
耳に穴を開けたのであるならば、やはりここぞというときに狂う。技にわずかほんのわずか狂いが出る。
彼女らの影響で耳に穴を開ける人がまた増える。この間などは電車で隣の女性、片耳に5カ所も穴を開けていた。
5カ所もですよ。2番目のところは爛れていた。
ぶつからない力の稽古で力みが入ると腰砕けとなって技が効かなくなる。ところが上から負荷を与えられるとそれはなくなる。全身に均等の力が働くからだが常時そうすることが難しい。
五重塔は大地震でも倒れた記録がない。法隆寺などにある五重塔の耐震性の謎に迫る実験が14日、防災科学技術研究所(茨城県つくば市)で行われ、有力説の一つとされてきた「心柱(しんばしら)振動吸収説」に疑問符がつく結果が出た。
心柱は塔の中心を貫く太い柱。この心柱が耐震に不可欠かどうかを、実物の5分の1の高さ約7メートルの模型で実験した。心柱を外したり、心柱を接地させず1階のはりの上に建てたりして、震度5強の揺れを与えた。
すると、屋根の上の輪飾りが大きく揺れ、扉の一部が外れたが、振動を止めると塔はすぐに復元し、心柱の有無は耐震性に大きく影響しないことがわかった。これは読売の記事である。毎日の記事は逆に心柱が塔の変形や揺れを抑制する効果が見られたとある。
五重塔の心柱については2001年HPに書いたことがある。
いま読んでみて「うんいいこと書いているな」と自画自賛。人体骨格図とやじろべえを並べて掲載してある。改めてこれを見て五重塔の大工は人体を模して設計したのではないかと思った。

筆者は以前、5分呼吸を止められたことがある。指回しが流行ったときである。
そのテストに使った。なんにもしないで息を止めると1分が限度でそれも我慢してやっとである。
ところが指回しを各指外回し・内回し20回宛やってから息を止めると5分間楽に出来た体験がある。
5分も呼吸が止まると死ぬ人も出るとされる。1週間実験を続けたが指回しをやってからだと5分は楽だった。
指を回すことで気血の循環がよくなったと解釈した。いまなら身体バランスが整ってということばも付け加える。
そのときは指の回し方向なんて気にしないでやっていた。いまは方向が必要である。薬指は外回し、他の指は内回しである。呼吸を意識せずにやるときはこの方向になる。
呼吸を意識するときは上の場合は呼気であり逆回しは吸気でないと歪みを発生する。身体の動きは呼吸とつながっている。
「食物を消化吸収するにもエネルギーを使っている。呼吸をするだけでエネルギーを使っている。
力み・緊張が抜けた状態がキープできれば食物は少なくて済む。同時に呼吸も小さくて済むらしい。」と書いた。
これはこれでいいのだが困ったことがある。それは寒さに対して弱くなる、寒がりやさんになってしまう。
それはそうだろう。だんだん筋肉に負担を掛けない動きが出来てくる。同時に消化吸収・呼吸活動用の筋肉の負担も少なくなってくる。
ということは熱量の発生も少なくなってくる。それが寒がりやの原因らしい。朝、水を十分に入れると寒さもやわらぐものの寒いのは寒い。
昔、炒り玄米オンリーの食生活をやったときは寒さに対しては強かった。うんと身体が陽性になったせいだ。そのときは水分は制限していた。
その時以来、薄着を習慣づけている。その時の陽性体質はとっくになくなっている。でも薄着の習慣は残っている。だからなお寒がりやさんになる。
食物の陰陽と運動の陰陽をいかに組み合わせていくか?