不要残留心

中村天風先生は「怒り・憎しみ・恐れ等を要らなくなったけれど残っている心ー不要残留心である」といわれた。40年前の昔である。

それらは喰うか喰われるかといった生存競争を繰り広げた古代において個体生命を守るために必要であった。しかし現代では全く必要としないものであるといわれた。

ストレスは歪みである。ストレスは歪みとなって身体に表現される。それは内臓等身体を守るためでもある。

従って用が済んだら即消えてくれればいいのだがなかなかそうはいかない。腹を立てたら一ヶ月も怒り続けている人もいる。

怒りが激しければ激しいほど固く大きいコリが出来る。それは歪みとなって身体に残る。怒りが消えたと本人は思ってもコリは歪みとなって残っている。

その残っているコリー歪みが悪さをする。日が経つに連れ重力の作用で更にその歪みが大きくなることもある。筋力の衰えが拍車を掛け歪みを大きくする。

入れ物が歪めば中味も歪む。歪んだ入れ物の中味は機能が低下する。故に歪みはなるべく早く取っておいた方がよい。 

一次的な歪みは中味を守るためである。二次的な歪みは筋肉の記憶となって残っている。

便宜上、一次・二次といった表現を使った。気持ちが収まった瞬間から歪みは要らない歪みー不要残留心となる。

感覚がシャープになる

「真っ直ぐになればなるほど感覚はシャープになる。ニュートラルなポジションといってもいい。ニュートラルであるが故に感覚が敏感になる。それは感覚が正常に働くようになったということだ」と書いた。

美容師のNさん・治療師のOさんは筆者の手技を受けるようになって三年くらい経つ。

当初、回数が多くやっていると復元力が弱体化されるかもしれないと懸念したが逆である。

いい刺激ならば歪み→復元→歪み→復元と繰り返す内に復元力の通路が強化される。これも筋肉の記憶として残るのである。

お二人とも身体の感覚が敏感になっている。わずかな刺激で身体のバランスが回復する。自分に合うもの・合わないものの識別が出来るようになってきている。触れて自分の感覚でわかるようになってくる。

自分に合うか合わないかは免疫機能とつながっている。身体が歪んでいるとその情報伝達がうまくいかなくなる。

ヒトは二本足で立ち上がったために常に不安定な状態にある。それは歪みを作りやすい。

しかしバランスが整うほどに感覚はシャープになる。僅かな刺激に反応する。不安定であるが故に感覚は鍛えられる。

バランスの狂った状態にしておくと逆に感覚は鈍くなってくる。歪んだ状態は身体に負担を掛けているからである。

怪我の後遺症

10年くらい前に某気功道場で右肩を故障したことがある。全然頑張る必要がないのに思いっきり力を入れたら靱帯を損傷したらしい。

それがきっかけで手技の世界に深入りしてしまった。それまで後ろ手でたすきを掛けるように左右の指先がお互いつかめた。それ以降右手を下にして左手を上から回すとどうしてもくっつかない。無論もう痛みはないが右肩が固くなっている。

昨年の1月に膝をやった。9月まで正座できなかった。徐々に正座の時間は増えてきている。ほぼ医学的には完全に治ったつもりだが30分も座ると膝に若干の痛みが出る。こっちも靱帯らしい。

靱帯は骨と骨を繋ぐ丈夫なバンドみたいなものである。この損傷は回復に時間が掛かる。競走馬であればザ・エンドである。

傷は癒えているはずであるが、筋肉に記憶が残るらしい。この記憶の解放はもう時間を掛けてゆるめ整えていくしかないと思っている。

靱帯切断の場合はどうか?他の靱帯を持ってきて繋ぐか?傷が癒えればよしとするか?その場合でも傷そのものの修復と筋肉に残る記憶・その上、切れたための使い勝手の再構築がある。その分更に時間が掛かるだろう。

手術の場合もそうだ。病院は完治としてもメスが入った後遺症が必ずある。それは歪みとして出るし傷痕を庇っての痛み・コリも必ず出ると予想される。

手術の場合も身体のバランスを整えつつ手術後の身体を使いこなしていく以外にない。

ナンバ歩き

ナンバの動きを体験して日々の動きに取り入れようと考えている。まずは歩きである。先日、書いたようにそれほど難しくはない。

身体を捻らないので歪みが出にくい。少なくとも現状以上に歪むことはない。

しかし股関節の左右差の大きい方の場合、歪みを取るところまでいかないと思われる。しかし平行歩きと併用すれば効果が大きくなると考えている。

足が外向きになっていると平行歩きをやると痛くなる場合がある。そのときナンバの動きをやっていればその痛みは出ないだろう。

手の動きに合わせて足を持ち上げて下ろす、足は蹴らない。

実際にやっていると身体を半分宛使うような感じである。関節や内臓・筋肉に負担を掛けない動きになっている。

疲れにくく怪我をしにくい動きである。

陸上の末続選手の走りで,いまや大抵の方がナンバを知っている。例えことばだけであろうとも。

肩こりや腰痛持ちの方々はマスターすれば大きな効果が出るだろう。

ナンバ的動き体験

「ナンバ的動きのコツ」という講習を受けた。
以前、TVで飛脚というドラマでナンバで走るのを見たが違和感があり滑稽に見えた。

普段、我々は手と足を交互に出して歩いている。そしてそれが当たり前のこととして何ら疑問を持たない。ナンバの動きも真似してみたがわからなかった。

ところが講習を受けていわれたとおりやってわかった。手と足を同時に同じ方に動かすというか、手にリードさせるとスムースに動ける。

最初、普段通りのその場歩きをちょっとやり、次いで交互に手を胸の辺りまで挙げるのに合わせて同側の足を上げることを繰り返した。

やっているうちに動きが身体に馴染んできた。馴染んだところでその場駆け足になった。そのまま10分やったが全員が息も上がらず楽に出来た。

それから手の動きだけ小さく変えた。わずかに太股をなで上げるのに合わせて足を上げるその場歩きになった。

こういう風に順を追って説明を受けると実にわかりやすい。ナンバは日本の和服という生活のなかで自然に生まれたのであろう。

「身体にやさしい動きは、ナンバにその手がかりがあります。筋肉でなく、骨を動かす・・・ナンバの動きは日常生活のいたるところに活用でき、身体の負担を軽くする省エネの動きといえるでしょう」とパンフレットにある。

眼を使いすぎたとき

筆者は近視である。最近は老眼も出てきている。その老眼の度合いも日によって異なる。

新聞を読むとき眼鏡を掛けて読めるときはいい状態である。眼鏡を外さないと読めないときよろしくない。

ところが最近はPCを見ている時間が多くなっている。そうすると眼が疲れてくる。目の周りがこわばっているような感じになる。当然、新聞が読みづらい。      

身体の表面は流れというか方向性があることがわかっている。顔面にもある。これを目が疲れたときに使えないかと思った。

眉と眉の間に二指・三指をあてて上下に動かしてみると動かしやすい方向と動きにくい方向がある。

筆者は下の方向が動かしやすい。そのまま軽く上下にゆらしてもよいのだが別法として動かしやすい方向に軽く伸ばし、そのままキープする。30秒~60秒くらい。

呼吸が深くなってくるのがわかる。上下に動かしてみてどっちも同じくらいの動きになっていればOKである。

ニュートラルポしション

健康というのは健やかな体と康らかな心ー健体康心である。
ところが人間は健康になろうとして随分余計なことをやりすぎている。

水飲み健康法もあるし水飲むな健康法がある。塩もそうだ。いい塩ならいくらとってもいいとか。日本人は塩は摂りすぎているから減らせとか。

蛋白質が足りないとか、ビタミンだミネラルだとか。
一万歩歩けとか。ヨガだ、気功だ、ピラテスだ。
筆者はナマケモノである。とても一万歩歩く気には到底なれない。

人間はあまり余計なことをしなくとも健康に生きられるようになっている。
身体のいい分が聞ければいい。立つことが真っ直ぐに近ずくにつれて身体のいい分がわかるようになるような気がする。

真っ直ぐになればなるほど感覚はシャープになる。ニュートラルなポジションといってもいい。ニュートラルであるが故に感覚が敏感になる。それは感覚が正常に働くようになったということだ。

多くの方が緊張タイプ

真っ直ぐに立ち真っ直ぐに歩けたら運動系の痛みやコリはなくなるし身体だってやわらかくなるだろうと考えている。

寒い日が続いている。そのせいか腰がまた反ってきている。一月前に出来た姿勢がまた出来にくくなっているし、現状に違和感があって落ち着かない。

腰が反っていると緊張しやすい。ちょっとしたことで緊張する癖はどうもこの姿勢からくるらしい。

腰の反りがあるということは多くの場合、胸にも緊張がある。この緊張状態に気がつかない。

長年の習慣でそれが当たり前故にまず気がつくことはない。人から言われても理解できない。

仮に気がついてもその修正には時間が掛かるし続かないのが普通だ。自分の反り腰を意識していると他人の腰も気になってくる。

多くの方の腰が反っている。

寒さに強くなる

夏,水出し茶のことを書いた。すっかり嵌ってしまった。毎朝何杯も飲んできた。困ったのはうっかりビン・カンを出す日を忘れていると2リットルのペットボトルが貯まって場所ふさぎになってしまうことである。

12月の初めまで飲んできた。ところが寒さが厳しくなってきて冷たいお茶は止めにしてコーヒーにした。寒いときに熱いコーヒーはおいしい。

するとどうなったか?えらい寒がりになってしまった。コーヒーは水の代わりにならないことは知っていたし人にもそう教えてきた。

1/20改めて前に書いた「寒さに強くなる法」を読み直した。それは水ー生水を飲むことだ。

それで水を一杯飲んだ。おいしい。さらに一杯と何杯も飲んだ。身体が乾いているのである。いくらでも入っていく。水を沢山飲めという健康法がある。身体がこういう状態の人はそう説くのだろう。

水を摂っていないと身体は水分の排泄をしないように働く。そうすると乾きに対して反応が鈍くなる。

身体が満足するまで水は飲むべし。血液の流れがよくなるらしい。寒さに対して強くなる。強くなるというより寒さがやわらぐ感じである。結果はやってみればわかる。

寒いときはヒレ酒だが・・・

1/21、池袋駅近くの蕎麦屋?居酒屋?に入った。2週間くらい前にも入った。寒さが厳しいだけに、そのときのヒレ酒が身体は温まるしおいしかった。

1つ席をおいて女性が1人座っている。待ち合わせかなと思ったらそうではない。やがて「焼き魚定食です」といって届いた料理を横目でチラッと見た。

その焼き魚の色つやといい焼け具合といいとてもおいしそうに見えた。次回は是非食ってみようと思った。あとで店員さんに聞くと「黒カレイです。」

やがて筆者のヒレ酒が運ばれてきた。ところがこれが全然うまくない、この前の味は何処へ行ったのだといいたくなった。

いやな旨みとでもいったらいいのか。多分化学調味料漬けだろう。お茶や梅干しにも化学調味料が使われる時代である。

もっとも今は化学調味料という表現は使われない。アミノ酸という表現に統一されている。

アミノ酸は身体にとって必要なものである。しかし科学的に合成されたものと自然のものでは働きが使う。合成品では、身体のミネラルを多く持っていかれるという。それは当然だろう。

以前、グルタミン酸ナトリューム(化学調味料)が大騒ぎされたことがあった。その大騒ぎを見事に納めてアミノ酸という表示に変えさせた手腕は大したもんだ。化学調味料メーカーの株を買っておいたら儲かるかもしれない。

多分前回飲んだヒレ酒は新品のヒレであり、今回のヒレは二番煎じの化学調味料漬けだと思われる。

座礼

きれいなお辞儀をされる方ってなかなかいない。礼法で座礼を教わっている。

きちんと正座をして両手をついて最敬礼をするなんてことは今後まずないだろうなと思う。

しかし座礼がちゃんと出来るかどうかは身体の状態とつながっている。正座して最敬礼をするのは今の筆者には大変難しい。

時代劇なんかで平伏している姿をよく見るが、昔は多分それなりにちゃんとやれたらしい。

やり方はこうだ。
正座の姿勢から、上体をまっすぐにのばしたまま前傾させてゆく。ももの上に置いた両手を膝の横に下ろし前にすべらせる。

上体の動きと手の動きが一緒であることを要求される。それから後頭部・首から背中が一直線であること、背中を丸めない。

この手の位置は、上体を曲げきったとき、自分の鼻が、両手の人差し指の間に、ちょうど、はまり込む位置とする。指はそろえて両手の人差し指をつける。両腕は掌から肘までが床につき膝を挟むような感じになる。
心をこめて静けさ残るように行なう。

昔の稽古は鼻が畳に着くまでやっていたという。いまは出来る方はいないしそこまではいわない由。

これは自分の身体のゆるみ具合を見るにはいい。最初はとにかくお尻が浮いて前につんのめりそうになった。大分そういう状態が続いたが、今は顔面が床上20センチくらいのところまで出来るようになっている。



食の生活習慣

相当に有名な医学博士の本に生活習慣病は環境汚染が原因であると書いてある。目を疑った。

環境汚染で生活習慣病は間違いなく増える。だがそれは主原因ではない。主原因は個人の生活習慣である。

生活習慣のなかで食生活がある。食物自給率40%以下、これだけでも病気が増えることになる。その土地に取れたものを摂ることが自然である。

輸入の果物に恐いものがある。国内で取れた食品だって恐いものがある。百姓さんは自分で食べるものと市場に出すものを別々に作っていると聞いたことがある。

それから食物を摂りすぎないことである。野菜でも水・肥料を必要最小限に与えたものがおいしく育つという。

ヒトの身体は飢えには強いが飽食には弱い。食べ過ぎで体重が増えたら当然、運動系も内蔵系も負担が増すことになる。その上、感性が鈍ってくる。

大事なことは自分に合わないものは摂らないことである。自分の好物が自分に合っていることにはならない。

それが合っていればまだしも、合わないものでも好物の場合はどうしても摂りすぎる。酒好きの伯父が肝臓ガンで亡くなっている。

前にも書いたことだがアメリカではガンの死亡率・罹患率ともに低下している。それは国を挙げて食事の改善に取り組んだことによる。その食事の改善は日本の伝統食がヒントになっている。

ローヒールのブーツ

最近ローヒールのブーツをはいている方を割と見かける。この冬に入ってからである。今までこんなに見たことがない。でもいいことではある。

なんでみなハイヒールのブーツを履くんですか?何人かの女性に聞いたことがある。しっかり足にフイットすからかしら?

若い女性はつらい思いをしてハイヒールを履いている。これも聞いてみて始めてわかった。

我慢してハイヒールを履いて背中を固くして生きている。まるで漫画である。
それで骨身に滲みてわかった方は履かなくなる。

それだと遅い場合がある。ひどい外反母趾の女性がいかに多いことか。ここまでくると多分直せないであろう。

ローヒールのブーツ普及するのはいいことではある。これもハイヒールのブーツが売れなくなってきたからだろう。

来年あるいは再来年あたりはまたハイヒールのブーツになるかもしれない。
流行に振り回されて健康を害するなんてつまらないことである。

ハイヒールの靴を履いて病気になってもハイヒールのせいとは思わない。これも感性が鈍っているからであろう。

入れ物でもある運動系組織の歪みは中身の内蔵系の働きを低下させる。だから病気になることも出てくる。しかしそこに因果関係があるなんて考えられないらしい。

運動系組織の痛みは?

多くの病気は生活習慣に起因する。成人病といっていたのを生活習慣病といいかえた。なにも嘗ての成人病だけではない。

そう筆者は考えている。だから生活習慣病ということば自体に違和感を覚える。

生活習慣から病気になる。したがって多くの場合、病気は個人の責任と考えている。

個人の責任で病気になったのにそれを他人が治してくれると考えるのは幻想である。

一時的に症状が消えたとしても生活習慣が変わらねばまたどこかに症状は出てくる。

以前、膝が痛くて困ったことがある。治療してもらったら痛みが消えた。ところが駅まで10分も歩いたらまた痛くなってきた。「下手な治療師だな!」とそのとき思った。

いまなら筆者の歩き方に問題があったのだといえる。歩き方に問題があるのなら歩き方という生活習慣を換えねばならない。

ぎっくり腰は癖になるといわれる。姿勢に問題があるなら姿勢を変えねば同じことを繰り返すだろう。

「立つ・歩く・座る」はヒトの動きの基本である。多くの場合、運動系組織の痛みはこの基本をを正すことによって回復する。

片耳のイヤリング

電車に乗って吊革につかまった。すぐ前に座っている20歳前後の女性、左の耳に4つの耳飾りをつけている。右は1個である。

なんで耳に4っつも穴開けるの?なんで右が4個で左が1っこなの?と聞きたくなった。ところがチエックすると彼女はこれでバランスが取れるらしい。

質問しても「ただ何となく」くらいの答えしか戻ってこないだろう。

筆者は腕時計を右手に変えて3年くらいしていた。その方がバランスが整うからである。今は右手でも違和感がでるのでやっていない。

ここで清原選手を思った。ダイヤのイヤリングをつけるのを止めたものと思っていたら、左の耳につけて練習を始めたと夕刊紙が報じている。

暮れに「来年の清原選手」を書いた。イヤリングをつけないならば昨年以上の活躍をするだろうと予測した。

ところがまたつけた。耳に穴を開けるだけで歪みが発生する。その上、波動のよくないピアスをつけたらなおさらである。つけたらそれだけで調子が狂う。

それもなんで左だけなんだ。右ならまだしも左だけだとさらにひどくなる。
左につけたということはそれだけセンサーが狂っている見る。

ダイヤのイヤリングを外したことで、少なくとも昨年以上に活躍すると書いたがこれは取り消す。才能のある選手なのに残念。

病気の原因は生活習慣が主である

健康とは健体康心ー健やかな体と康らかな心をいう。誰しも健康を願っている。ところが現代の日本は病人が年々増えてきている。

何年か前に成人病ということばを生活習慣病といい換えた。小児ガン・小児糖尿病が増えてきたからではないのか?

大部分の病気は生活習慣が原因であるといったらいい過ぎだろうか?伝染病があるじゃないか?遺伝によるものがあるじゃないか?といわれそうである。

伝染病にしたところで罹る人もいるし罹らない人もいる。免疫力が強いか弱いかによるわけだがそれも生活習慣から生まれる。遺伝病にしても親の生活習慣が原因と考えたい。

生活習慣といえば次の三つがある。
  1 身体の動かし方ー立ち振る舞い・歩き方
  2 食生活
  3 考え方

病気の原因は生活習慣が主である。健康でありたいと考えたら生活習慣を改めねばならない。極当然の話しである。

しかし、いざ実行しようとしたら大変な難しさがつきまとう。病気になる・調子が悪いということは生活に誤りがあるというシグナルである。

そう考えられたら病は自分で治すという決意も生まれる。病院や治療院はそれを手助けするのがその役割である。

支えて曲がってよく動くー2

日本刀はの特徴は「折れず曲がらずよく切れる」である。日本人の叡智が相互の矛盾を見事に解決している。

人体は「支えて曲がってよく動く」相互の矛盾をどうやって解決するか?

ヒトは二本足で立つ。足裏の極少の面積で全体重を支える。極小面積で支えるということは動きやすいことにつながるが支えにくいことでもある。よく曲がるということは支えにくいことになる。

硬い骨と柔らかい筋肉がある。それと関節がある。関節は骨と骨をつなぐ部分である。靱帯で連結されている。

関節はどのようにして出来たものなのか?今の科学では全然わかっていないらしい。

「支えて曲がってよく動く」には関節が重要な役割を担っている。

それは関節が均密な状態つまり骨と靱帯と筋肉のいい関係を必要とする。

支えて曲がってよく動く

ヒトの祖先は魚であるといわれている。魚は水に住む。身体全体で水の浮力を受ける。そして水の抵抗をなくすべくしてあの流線形の身体になった。

魚にとって左右の対称性は生命の絶対条件である。少しでもくずれたら移動できなくなる。食物が取れなくなる。

魚が四十肩や腰痛になって動かないなんてことはあり得ない。仮にあればザ・エンドである。

ヒトは魚のヒレを手や足に変えて地上に立つ。四足であれば左右対称は崩れにくいのに二本足で立つことを選択した。それは梁であった背骨を柱に変更したことである。

浮力は使えず体重を二本足で支えて立つ。故に真っ直ぐに立つことがヒトにとって極めて重要、最も基本の課題なのである。

ところが多くの場合そのことを忘れている。また真っ直ぐに立てている方はまずいないと思われる。

既に書いたように真っ直ぐに立てたら身体はやわらかくなる。真っ直ぐに立って自分の身体を観察してみればわかる。どこかに力が入っている。

力み癖があるとそれに気がつかない。長年使い込んだ身体は力み状態が普通とすると気がつかないし、指摘されてもわからないこととなる。

コリや痛みは無論のこと力みを感じるということは真っ直ぐでない。左右対称になっていないということである。

真っ直ぐに立ててはじめて「支えて曲がってよく動く」身体を手に入れることが出来る。

          

肩胛骨の際のコリ

美容師のNさん、大変姿勢がよくて身体がやわらかい。

姿勢が真っ直ぐだとやわらかさをキープできる。理論的に考えてきてはいた。最近その実感を持てるようになった。

美容師さんはドライヤーを左手で使う。それで左肩が固くなる。今日も左の背中がこっていると見えた。

背骨を見ると胸椎5番が左に大きく曲がっている。胸椎5番は気温差が大きいとすぐに曲がる。これは既に経験則で知っている。

これはすぐに取れる。一応バランスの調整をやったが「左の背中が・・」という。

いつもだと左肩胛骨と背骨の中間が固くなっていてそこをほぐせばいい。ところが今日はそこのところはそんなにこっていない。

前回は左腕のつけ根だった。探っていくと左肩胛骨の際に沿ってまるで細く固いひも状のコリがある。ちょっと押すと「ウー、頭まで響く」という。

そこを軽く圧定していると取れた。なんでこんなところが?

「ゴルフのフオーム変えました?」
「イヤ、ゴルフはやっていないよ」

今までにないコリである。

そこで考えたのは厳しい寒さが続いている。外は零度から10度の間である。仕事場は多分20度前後。その温度差からではないかと推理した。

以前のノートを見ていたら真夏の症状として肩胛骨の際が固くなると書いてある。敏感なNさんの身体は急に夏の準備を始めたらしい。

四股を踏むー2

四股を踏んで見てわかったことがある。

片足に体重を載せてもう片方の足を大きくあげると、支えている方の足がやわらかくなる。

ウソだろうと思われるかもしれないがやってみればわかる。普段の二本足で立つ姿勢よりやわらかいのだ。これは意外な発見だった。いかにちゃんと立てていないかということだ。

片足で全体重を支えているのに、支えている足の大腿がやわらかくなる。前提条件として支える足が真っ直ぐに伸びていなければならない。

当たり前のことだが片足で立つことは二本足で立つことより難しい。更に片足を上げるが故により精緻なバランスを要求される。

脚の骨と骨は真っ直ぐに連結される。靱帯は最も短く骨をつなぐ。真っ直ぐになるほどに筋肉の負担は少なくなる。

「直立二足歩行はヒトの原点であり、左右対称性は生命の基準」といってきた。ヒトは二本足で立つことを選んだ。

真っ直ぐに立つ、左右対称性が生まれる。負荷が最も少ない姿勢となる。

四股を踏むー1

相撲の鍛錬法に四股がある。足腰を鍛える重要な基本運動とされる。筆者も足腰を鍛える筋力トレーニングと思ってきた。

無論、筋トレを意識しての稽古もあろう。だがそれより重要なことがある。

四股は身体のバランスを整えるのに絶大の威力がある。真っ直ぐに立つということを身体に認識させるという効果である。

フラミンゴ療法を紹介したことがある。片足で1分立っていると1時間歩いたと同じ効果があるとか。

四股はそれよりはるかに難度が高くバラスを整える効果もまた大きい。きれいにやるには練習を重ねないとムリである。


「四股」は邪気払いの儀式であるという。なるほどなあ!歪みが取れバランスが整ってくれば邪気も受けつけなくなるだろう。

 

北辰一刀流

剣術の流儀の一つに北辰一刀流がある。幕末の三大道場のトップとして大変繁盛した。門弟5000~6000とか。

彼の坂本龍馬も新撰組の山南敬介・藤堂平助もこの流儀だった。

剣術の流儀名が気になっている。神道無念流・心形刀流・真庭念流・天然理心流・直心影流・鏡心明智流でしょう。心や念の字が入っている流儀がたくさんある。

神道無念流、文字の意味からして無念になって神の道を行うってことでしょう。すごい名前をつけるなあ。

さて北辰一刀流である。千葉周作がどうして北辰をつけたのか?彼の祖父が北辰夢想流の創始者でありそこから北辰を持ってきたことになっている。

北辰は北極星をさす。北極星は常に北にあり動かない。動じない心ー不動心を意識したのであろうか?

あるいは頭上高く北辰を頂いて真っ直ぐに立つことのイメージシンボルとしたのかもしれない。

人類は直立二足歩行をまだ使いこなしていない。その発展途上にある。
意識・イメージによって身体は見事に変化していく。

満面の笑み

TVでやわらちゃん谷亮子さんの映像を見た。

昨年末男子出産しこの度退院、それこそこぼれ出るほど満面の笑みである。曰く「お母さんになるのは柔道より大変だった…」

やわらちゃんの笑顔、赤ちゃんのほんわかとしたいいエネルギーが伝わってくる。こころが和みからだがやわらぐエネルギーである。画像をちょっと見ただけでバランスが回復する。

赤ちゃんには人を癒すエネルギーがあるらしい。だっこをするとそれだけで多くの歪みは取れてくる。抱っこしているやわらんちゃんの鼻も真っ直ぐだった。

ただ気になったことがある。やわらちゃんがイヤリングをつけている。イヤリングをつけているのを始めて見たが、やはり耳に穴を開けたのだろうか?

身体にキズをつけるとそれだけで身体は歪んでくる。

特にスポーツで活躍しようと考えている方はピアスや入れ墨はやめた方がいい。

人類は発展途上にある

ブログの説明欄に「薬に頼らず健康になる」を追加した。薬を否定しているわけではない。

薬、草冠に楽である。昔は草根木皮、純粋の植物が主だった。現代では科学的に合成された薬品が多くある。

それでもそのときの体質に合っているならよしとする。だけどこの症状にはこの薬と相性無視の投薬が行われている。相性を見るという考えさえない。

それと患者サイドにおいても症状が消えれば良しとする傾向が強いのもおかしい。

基本的に痛みは出るべくして出ている。熱が高いのもそうだ。痛みが消えればいいわけではない。熱が引けばいいわけではない。

それは身体の防衛上の表れである。痛みも熱も我慢した方がいいと筆者は思っている。

ただ後遺症等の出る可能性がある場合は少量短期に薬を用いるのはやむを得ないとは思っている。

身体を真っ直ぐにキープ出来ればストレスは消えていく。姿勢がその人に合った正しいものであれば痛みやコリ・発熱も消えていく。

立つこと・歩くことについてあまりにも研究不足である。

歪みはストレスの表れであり、入れ物が歪めば内臓も歪み機能が低下する。

人類は直立二足歩行を完全に自分のものにしていない。いまだ発展途上にある。

幸せな波動が出ている年賀状

今年もらった年賀状のなかで素敵な1枚がある。会社員時代の部下であった女性からである。

すでに結婚されておりお子さんが3人、そのお子さんの写真を載せている。

最初のお子さんの写真を見たときビックリした。すごい福耳なのである。2番目のお子さんもそうだった。3番目のお子さんの耳はよく見えないがやはり福耳らし。

筆者の仮説のひとつ、身ごもったときお母さんがハッピイな気分で過ごされていると福耳になるというのがある。

福耳の方は血液循環がよくて身体が頑丈である。漢方では耳は先天生命力を示すものとされる。ゴジラの耳参照。

ここでまた仮説が生まれた。福耳のお子さんを持ったお母さんの鼻は真っ直ぐで歪みがない。鼻も変わるから少なくとも妊娠中はいい鼻をしているだろう。

この素敵な年賀状を手にすると身体のバランスが整って真っ直ぐになってくる。


膝頭が平になる

膝頭って丸く見えるものでしょう。
ところが小笠原流礼法の先生が正座をすると膝のお皿が平に見える。
膝頭が角張って見える。

筆者より長く礼法をやっている男性の膝も先生ほどではないが角張ってきている。骨組みが整ってくるとこうなるらしい。

大腿骨は1本でその下に2本の骨、腓骨と脛骨がありその境目前側にお皿がある。

骨と骨は靱帯をもって連結され筋肉によって支えられている。正座は股関節を左右に開かせない。

人により若干は開くが人体の一番大きな関節である股関節の動きを規制する姿勢である。

礼法での歩きは両足が平行であり手は振らず両横につける。正座と平行歩きを続けていると膝頭が角張ってくる。これは筆者の仮説である。

筆者は昨年1月右膝を痛めた。今も若干その後遺症が残る。その右膝の痛みが取れるに従い平になってきているように見える。

手を振らないで歩く

TVの時代劇を見ていて大変気になってきたことがある。見ていて違和感を覚えてしまうのである。

それは出ている方々の腰の揺れが大き過ぎるのである。
筆者もついこないだ半年前までそうだった。

ところが自分の腰の揺れが小さくなってくると人の揺れが気になってきてしまう。

「随分とおしりの揺れが大きいですね」といわれたのは一昨年のことである。
腰に揺れがない方がいいと思った。それから揺れをなくそうとやってきた。

いろいろやってみた。だが簡単にはいかなかった。足・股関節・膝等いろいろやった。

そのうち気がついたのは手を振らないことだった。ズボンのポケットに手を入れて歩くと揺れが収まることに気がついた。

子供の頃、ポケットに手を入れて歩くことは禁止事項だった。脇を締めて手を振らないと揺れはなくなってくる。

その目で見ると今のウオーキングは手を大きく振れという。違うだろうといいたくなる。まあ、運動不足解消にはなるだろうが。

歪まない身体を造っていくには手を振らないで歩くことが大事だと今思っている。

腰割ー2

腰割、両足を平行に開いて腰を太股の位置まで下ろす。

この前、左右別々にやる場合の呼吸を書いた。
その前に腰を下ろしていくときの呼吸を書かねばならなかった。

腰を下ろすときは吸気であり、戻すときは呼気である。
これで筆者はバランスが整ってくる。

やってみて身体が前に倒れる方は呼吸が逆になるかもしれない。
これはスクワットのときもそうだ。

呼吸が合っていないと折角やっても歪みは取れない。

人の動作は呼吸と連結している。

歪むと鈍くなる

一枚の紙切れで歪みが取れるなどといったら、迷信だろうといわれるだろう。だけどそういう人だって車にはお札を貼っているに違いない。

日本人の身体はそういう効果があることを知っている?じゃ、外人は?

人の身体というものはほんの微かな弱いエネルギー?をも感じ取るものである。

一般論でいうと身体の歪んで固い人はこんなことでまず歪みが取れない。先日書いた治療師のOさんのように身体が固くても瞬時に変わる人もいる。

美容師のNさんみたいに身体がやわらかくて敏感な人も、反応しなくなる場合がある。身体が固くなり歪みが出てくるにしたがい反応が鈍くなる。

気候・季節などの外界の変化に適応しようとして歪みは出る。
外界のみでなく心境・感情等の内界の変化によっても歪んでくる。

歪んでくるに連れていろんな二次的症状が出てくる。痛みやコリ・内臓の働き低下等である。

歪みはストレスである。感覚が鈍くなる。
こんなことが書けるのも検査・チェックする方法があるからわかる。

箱根駅伝

新春恒例の箱根駅伝を見た。先々月Qちゃんこと高橋尚子の走るのを見ている。

そのせいか随分と走り方に各自のバラツキが目立つ。

無論きれいな走り方をされる方もいるが、手の振りが大きい方が多い。

更に左右の振りが違う、右の振りが大きい方・左の振りが大きい方と何人もいる。

これは左右の肩関節のどちらかがゆるみすぎていると見る。

手の振りが大きく惰性に流すのはエネルギーのロスにつながるだろう。

ゆるんだ肩関節ならなおのこと締めて走らねばならないと考える。

改めてQちゃんの走りが超一流のそれだったと思った次第。

それとさすがにO脚がに股のランナーは見なかった。

O脚だと内側と外側の差が大きいほど疲れやすくランナーには不向きである。