どこかに書いたが江本勝さんの水の結晶写真をスライドで見せられたときはショックだった
。「ありがとう」と「ばかやろう」の文字をはり付けた水の結晶写真である。きれいな結晶写真とぐしゃぐしゃにくずれた写真である。もう何年も経つ。「
水からの伝言」の初版が1999年だからそれの2〜3年前というと8年も前になる。
「ありがとうございます」は力のあることばである。
コップの水に向かって「ありがとうございます」を称えていると水は変わってくる。
ちょっと間をあけてまた水に向かって称えるとまた変わる。何が変わるかというと意識指数である。これを繰り返していると極めて短時間に水の意識指数が900位までいく。
人間の身体は水が60%とか70%とかいわれている。「ありがとうございます」を称えることで変わるのは間違えない。
「ありがとうございます」はもっともっと使った方がいい。乱用しまくった方がいい。人が変わり世の中が変わるだろう。
大きな鏡の正面にたつと顔がわずかに右を向いている。
気がついたのは昨年の春だったかその前の春だった。身体がゆるんできて筋肉の偏りが素直に出るんだと思っている。
春先にそうなるのかもしれない。2月3月に診た方は胸椎5番が右か左によく曲がっていた。その方々も4月後半診るとその曲がりがなくなっている。
胸椎5番と顔が横を向くのとどんな風につながっているのか、まだわからない。顔の曲がりの修正も簡単に出来る。
顔を右に向けてゆっくり10回も呼吸すればよい。
取りあえず真っ直ぐにはなる。いつまで保つかはまた別の問題である。
筆者は右利きであり、背骨の右側の筋肉が膨張しているといわれている。右側が固くなるタイプである。
昔、漢方薬をとっかえひっかえ飲んでいたときがある。
飲んだ回数でいくと加味帰脾湯と補中益気湯が多かった。
加味帰脾湯は気分が落ち込んだときに飲むとよく効いた。ちょっとうつのときは飲むを繰り返した。あるときから効かなくなって止めた。
補中益気湯は疲れやすい時によく飲んだ。ここ数年はどっちも全く飲んでいなかった。
身体は常に生理的にも物理的もバランスを維持しようとしていると書いた。薬というものがこのバランスを向上させる方向に働く場合はよしとしたい。単に症状を消すだけの場合はバランス回復力を低下させるだろう。
ドラッグストアで昔飲んだ補中益気湯があった。筆者との
相性を見るとOKでありGOODだった。1箱買った。実はここ2〜3日、胃がおかしい。
先日、「25歳過ぎてからハイヒールは履いていません。」
といった30代の女性のことを掻いた。
お若い方はヒールの高い靴がお好きらしい。
だけど早くお止めになった方がいいです。
足裏は地面と水平が基本です。ヒールが高い靴を履いていると足の前面は伸びて固くなり裏側は縮んで固くなります。股関節・膝・足首が固くなります。
仰向けになると足先が伸びたまんまの方が割といるんです。身体の前後バランスがくずれた状態です。
身体が次第に固くなり、リラックスしにくい身体になります。
一度、筋肉に癖がついてしまうと踵の高い靴を止めてもなかなか元へ戻りません。
靴はローヒールのほうが断然いい。
筆者は今シャンプーを使っていない。
「シャンプーが花粉症の原因かも」を書いた。それ以降ではなく、もう何年も前からである。
風呂に入ったとき頭からお湯を流すだけである。石けんも使わなくなった。以前頭をガリガリと掻くと爪に黒い垢がつまった。今は掻いてもあんまり垢がないのだ。
別にシャンプーが有害だからと使わなくなったわけではない。単に無精だからである。だけど結果、正解だったみたい。全く使わないわけではない。汚れているなと思ったときは使う。でも使うのは年にほんの数回である。
皮膚の表面には皮脂によって保護されているとか。皮膚の表面を洗いすぎてはよろしくない。
何年も前に買った使い残しのシャンプーをチエックしてみた。可もなし不可もなしでまあまあである。これは資生堂の製品だった。
自然化粧品を開発している知人のシャンプーはさすがにいい。触れるだけで歪みが取れる。GOODであった。
「タトウー」最近覚えたことばで入れ墨のことです。
巨人のキャプラー選手、両足に隙間のないくらいタトウーがびっしりとか。もちろん背中にもいっぱいある。メジャー時代からスランプの度におはらいの意味で彫ってきたという。日本のいい彫り師を捜している由。
ひそかに居残りトレーニングを続けているとか、夕刊紙の記事である。現在打率ワーストの0,154。あのピアスをつけた清原選手が0,232である。
タトウーも一度や二度は効くかもしれない。バランスが崩れたときある刺激を入れることで整ってくることはある。彼もおそらくタトウーによる成功体験があるのだろう。人は成功体験を追いかける。しかしそのために身体を傷つけてはいけないよ。
身体はいつも夜も昼も生理的にも物理的にもバランスを維持しようと懸命なのだ。それをわざわざ自分で崩すなんて、それでプロといえるのか!一度傷つけたらそれはズーッと影響する。打撃のように微妙なバランスを必要とする野球選手がやったらどうなるか?
巨人もよくこんな選手をとるな!!!いくら才能があろうとも自ら傷つけるようではコンデイションの維持は難しい。多分今年中に帰国することになるだろう。
最近、鼻にリングを入れるのも見かけるがこれも同じである。
ピアスもタトウーも身体を傷つける。身体のバランスをくずし、いろんなわけのわからい不調を来すことになる。
1/8、膝を痛めた。4/26現在まだおかしい。8割方回復はしているし自分なりにバランスを整えているがまだおかしい。
おかしいどころか2〜3日前から、また何もしない状態で痛みが出てきている。もしかしたらコンドロイチンが効いていたのかもしれない。
2月から飲んでいたのが1週間くらい前から切れている。
ドラッグストアで自分との相性がOKだったので購入し飲んできた。
また買ってきて意識指数を見ると300前後である。
物と自分の相性を見るときは大きくは3段階で見る。
身体のバランスが整う・・・・・GOOD
変化なし・・・・・・・・・・・・・・・・可もなし不可もなし
歪みが大きくなる・・・・・・・・・BAD
多くの商品が触れただけで歪みが大きくなる。歪みが大きくなるというのは身体はストレスを感じているということだ。BAD商品があまりにも多すぎる。
「
身体がEAV」に書いた。身体は自分にとっていいものか悪いものを知っている。瞬時に結果を出す。
この地上で人が万物の霊長と威張って繁栄しているのも、直立二足歩行獲得による大小様々なストレスに対応可能になったためと考えている。
二本足で直立するが故にほんのちょっとした微細なストレスも身体を歪ませ固くする。感覚のシャープな方は微細な刺激を脳ですぐキャッチ出来る。
筆者のごときは身体はわかっているのに脳では捕捉できない。
脳はいうまでもなく身体の一部ではあるが末端部と脳のつながりがよくない。それは「身体に
累積された想いー身体の固さであり歪み」が情報の正確な伝達を妨げている。
この歪みは身体の末端で見るとよくわかる。手の指、足の指の左右差を見るとよくわかる。「鳥肌が立つ」という表現がある。このときは身体が固くなって歪みも大きくなっている。
ミルクもどきの話を書いた。触れるだけで身体が歪んでくる。それは手の長さつまり両手を伸ばすと左右差が大きくなっている。身体にやさしいものならば両手の差は小さくなる。本当にその人に合っている物ならばこの差は無くなる。
これで物と人との相性がわかる。さらに最近は意識指数まで測れそうなので面白くなってきている。相性テストなら少し練習すれば大抵の方が出来るようにようになるだろう。
某気功道場に9年前まで通っていた。
そこではお釣りはいつもピン札、それこそ手の切れるようなピン札だった。何年も通ったがいつもそうだった。
最近コンビニでお釣りをもらうとお札の方向を揃えてよこす。
コンビニだけかなと思ったらうどん屋さんもそうだった。
数年前、お札の方向をそろえて財布に入れておくとお金が貯まると聞いた。それ以来お札はそろえておくように心掛けている。
でも、まだお金はたまっていない。
お札の神様がいるなら、やっぱりそろえてもらった方が気持ちいいだろうなあ。
「越えられぬ 冬などないと ふきのとう」
週刊文春だったと思うが週刊誌に載っていた川柳である。
めげそうになったとき、この一句が浮かんだら乗り越えられるかもしれない。
拙宅のネコの額ほどもない地面に頭を出したふきのとうが、今は新緑の葉を広げている。そういう品種なのか、土地が固いためか、丈も短く葉っぱも小さい。でも新緑というか若緑というのか日を浴びて輝いている。
似たことばがある。
「朝の来ない夜はない」
「どんな土砂降りの雨もいつかは止む」
「冬来たりなば春遠からじ」
人の意識は強力です。

手元に3種類のオリゴ糖がある。
1つは昨日知人からわけてもらたもの、後の2種類は近所のドラッグストアで買い求めた物である。
ここのところ便秘気味でお腹も固いのだ。オリゴ糖は腸内善玉菌増やし便秘に効くということは前に読んで知っている。
3種類とも筆者との相性は取りあえずOKである。触っても身体が歪むことはない。
さて意識指数はどうか?スッキリオリゴ糖は150,オリゴのおかげは550,パワフルオリゴ糖は600とでた。
この数字自体にまだ自信はない。しかし一応ランク付けできる程度まではきている。後はいかに精度を上げるかである。
お値段の方であるが知人からわけてもらったのは定価で330グラム5480円とさすがに高い。スッキリオリゴ糖は1000グラムで売価397円、オリゴ糖のおかげは顆粒タイプで6グラム×15本で値段は書いてない。あとで調べるてくることにする。こちらの方には厚生労働省許可・特定保険用食品の表示がある。
昨年の暮れ、田舎に帰ったとき口臭があると妹にいわれてしまった。
前にも他でいわれたことがある。自分ではわからない。気にしながらも忘れていた。自分で簡単にわかる方法があるといいなあ。
「なにか防ぐ方法はないかね」といったら、側で聞いていた姪っ子がモンダミンとクリアクリーンを買ってきてくれた。
1月2月と使ってきた。ところがモンダミンを使ったあとコーヒーを飲むと全然味が変わってしまう。それとミルクもどきがひどい代物だと気がついてじゃモンダミンやクリアクリーンはどうなのか疑問を持った。
この2品と筆者との相性を見た。
ボデイダウジングと名付けた法で見るとどっちも合わない。身体の歪みが大きくなる。そこで例のドラッグストアによって液体歯磨きの類・噛むタイプをチエックした。
シャンプーのときはいいものがなかったが、この液体歯磨き類も噛むタイプも何種類かまあまあのものがあった。手で触れても歪みがおおきくならない。
全商品,せめてこのレベルであって欲しいものである。
4/18のことである。仰向けになると身体がくの字に曲がっている。
筆者は右側が固く縮むタイプである。だから曲がるなら右に曲がるはずである。それが逆になっている。考えたが思い当たるようなことはない。
この程度なら直すのは簡単である。
曲がっている方向にちょっと余計に曲げて1分くらいゆっくり呼吸していればよい。
だけど何で逆に曲がったのか?
出した結論を書く。骨盤は季節の変動に合わせて動くらしい。
動いているという実感はない。ないけれども冬と夏では明らかに違うのはわかっている。暖かくなるにつれ右側から開いていくと聞いている。
以前は寒さに強かったけれどここ数年は寒がり屋になっている。
同時に身体が外界に対して素直に反応するようになってきている。
原稿を書いている今日の気温は16度である。18日の気温はわからないが多分同じくらいだろう。12日は12度だった。
この気温の変動に反応して右の骨盤が開いた。一挙に春型の骨盤になったということと解釈している。
ここ1年くらい膝をゆるめるべくやってきたこともある。
膝が突っ張って固い状態だと身体はこんな風に変わらないだろう。
呼吸は見えないこころと見える身体を繋いでいる架け橋であり、身体は見えないこころ(内的環境)と気候風土(外的環境)の表現体である。
「人は両親を選んで生まれてくる」このお話を聞いたときショックだった。へー、そんな考え方があるんだ。数年前、福島大の
飯田史彦さんに聞いた。すごい迫力があった。以前の自分であったら100%受け入れることは出来なかっただろう。
人は生まれるときに自分の両親になる男女を選び、自分がこの世でやることを設定して生まれてくるのだという。学ばなければならないこと・ややるべきこと等もその設定内のこととなる。
ある方にお話ししたら白い眼で見られてしまった。
辛いことに出会ったらこれは自分が選んだテーマなんだ、と少しでも思えたらちっとは楽になることだろう。
「消えていく想い」について既に書いた。
失恋の想いなんかそのときは死ぬほど辛くとも、時間の経過ととに消えてゆく。
逆に日々累積されていく思いがある。どこかで読んだことを紹介する。「仕事が楽しければこの世は極楽、仕事が辛ければこの世は地獄」
確かにそうだ。しかしサラリーマンにとってほとんどの会社は個人の思い通りに仕事をさせてくれない。いきおい多かれ少なかれ地獄を味わうことになる。
それが毎日続くとそれは呼吸を制限し身体ー筋肉が固くなり、張り・コリ・痛み・歪みとなって身体に表現される。これが「累積される想い」である。いじめも同じだ。
毎日毎日累積されていくと身体はどんどん固り背中が一枚岩・鉄板のようにもなってくる。本当にこういう背中があるんです。
そうならないためには毎日こまめに身体をほぐすことである。
もう一つは仕事に対していかに向き合うか、心の面からのアプローチである。
灰谷次郎著「
天の瞳」は、いじめに立ち向かう少年の物語である。一読をおすすめする。
通常の場合。うつ伏せ北枕だと歪みが発生する。
ところが南枕と書いた紙切れを胸か腹のあたりに置くと歪みは出ないと書いた。
確かにそうなのである。この場合、触れ続けているあるいは見つづけているとか心のどっかでつなげておく必要がある。
ところがである。南枕と書いた紙切れを見ないようにして例えば「1・2・3・4・5」といっただけで歪みが発生する。
何を意味するかというと人の意識が切れるると効能がきれるということだ。地球の磁場は人が意識しようとしまいと変わらない。人が意識するとそれは地球の磁場を一時は超えるらしい。
人の意識がいかに強力なものか、おわかりいただけるだろうか?
大体、あやしい話なのにおわかりいただけるだろうか?と書いても困るだろうなあ。
ところがチエックする方法をお持ちの方は全然困らない。一人Oリング・ダウジング、お出来る方は試してみたらいい。納得される筈である。
ここのところ、やけにこの意識ということばが飛び込んでくる。
合気の先生がそうだった。瞑想講座でも意識という表現が出た。
意識を確実に物とせよという天のお告げであろうか?
語りの師匠に質問をぶっつけた。
「表現は呼吸にあると伺っています。呼吸を変える、従って身体も変わる。そういうことをやり続けたら身体・潜在意識は現実と仮想の区別がつかないからストレスとなって身体に溜まっていく。そいうことを続けたらやればやるほど性格破綻を起こしてしまうんじゃないんですか?」
「そういうことは多いですよ。現代劇の役者に多く、卑しく見える。役者は役におぼれてはいけないのです。古典芸能の方は逆に品があり人格的にも尊敬できる方もいる。」
日本には現代劇の俳優養成の施設がない。したがって現代劇の役者が育ちにくいとか。ロシヤやイギリス等では国立大学で俳優養成の専門講座がある由。そこでは朝の9時から授業が始まり帰宅すると夜中の10時12時になってしまう。それを4年間続け、声を作り身体を作っていく由。
古典芸能ー能や歌舞伎では型がある。型を修得しその型を表現すること
に尽きる。それは幼児のころから時間を掛けてじっくり仕込まれる。
古典であり、型である。現実の自分と架空の役との区別がきっちり作られるのであろう。役者としての身体を作るというのはこういうことではないか?
会社に勤めておったとき「大橋さんも風格が出てきましたね」といわれたことがある。その日は1日気持ちよく仕事が出来た。
翌日である。ヒゲを剃りながら鏡を見た。髪が大分白くなっていた。
あいつオレを乗せやがったなと思った。
そこで一句 「風格が 出たとは白髪が 増えたこと」
ナポレオンはお世辞が大嫌いだったそうである。ところが「閣下はお世辞が大嫌いとうかがっています」といわれた途端相好をくずしたそうである。
最近ここ1年くらいかなあ、人の身体にさわっていてその方の変化が自分の身体で感じられるようになってきた。ゆるんできたなとか、背中が温かくなってきたなとかである。
人をいい気分にするとそれは自分に返ってくる。お世辞だっていいじゃないですか。ものはいいようである。
4/17(日)呼吸塾の定例会。
〇〇さん、2月に出席されて今日は2回目である。
仰向けになると両足の形がいい。左右差があまりない。歩き方を注意してきたことがわかる。前回、歪みが大きくあったがその歪みが劇的といっていいほどとれた。
ところが今回は両手がなかなか揃わない。おかしいなあと思いながら聞くとPCに触るときの姿勢が原因だった。
昨年、倒れられて目下休職中の由。腎臓と膀胱系に問題があり頻脈・頻尿に悩んでいるという。それで仰向けで左肘で身体を支え右手でPCをやっているとか。
それでわかった。左肩が固く伸びが悪い。大分やったが左肩は50%位の回復か。合掌両手ゆらしも効きが悪い。
すぐ止めると仰っていた。
身体に片寄った余分な負担を掛けないようにした方がよい。
身体は真っ直ぐにして使うと疲れにくく歪みも減ってくる。
感情が呼吸を支配すると書いた。
今日は逆のことを書く。
イヤなことをやっていると呼吸が浅くなる。あるいは全く呼吸を止めてしまう。エネルギーを消耗し疲れる。これは身体の防衛本能からくるのではないか?
昔、天風先生から「神経反射の調節法」として天風式クンバハカ法を教わっている。感覚や感情のショック、衝動を受けたときに実行をすると心には感じても神経系統には影響を与えない。先生は心と身体をつなぐのは神経系統であるといつもいわれていた。この法は意識して呼吸を止めるのである。その後、宗教や武術のほうでも「止息の法」があることを知った。
昨日書いた「ありがとうございます行」がいい。
イヤなことに出会っているのに、「ありがとうございます」はとてもじゃないがそんなことはいえない。そうかもしれない。
自分の気持ちと裏腹であってもやってみればいい。呼吸が変わり身体がゆるんでくる。
4/14(木)ある会でお話をさせていただいた。
男性2名女性3名、50〜70歳の年代の方々が参加された。
意識指数を見ると700と出た。高い意識をお持ちの方々である。
その中の女性のお一人をモデルとして出てもらったのだが、歪みがあまりない。仰向けで両手を伸ばすと右手に比し左手がわずかに固い。それとても両手が耳のところまで下りている。両足のの形がよく、左右差がほとんどなくビックリである。こういう方はいままで見たことがない。
それで聞いた。
「何かやったいらっしゃいますか」
「いいえ、特になにもやっていません」
「彼女はありがとうございます行をやっているんですよ」
納得である。ありがとうございますを称えると歪みが取れてくる。筆者は自分の身体で実験をして既に知っていた。筆者の実験はわずか10回称える程度である。それでも歪みは取れてくる。ありがとうございます行は1日に何百回も何万回も称えるのである。10回でも取れてくるのだから何万回も称えたら身体はきれいに整ってくるのは当然である。改めてありがとうございますの威力を認識した。
会の後で彼女の意識指数を測定すると何と900という高い数字が出た。両足の形からしてこれも納得である。感謝は最高の呼吸法であり、ありがとうございますは最高のマントラである。
「表現は呼吸で決まる」
語りの教室でいわれている。
表現することがストレス発散になる場合と逆に働く場合がある。
3/16「夢の中の自分と夢を見ている自分」を書いた。表現をする自分とそれを見ている自分とが存在する。この区分は明確に意識することが大事である。語りの先生はいわれた。「役者は役におぼれてはならない。役者が本当に泣き出してしまってはそれは芝居ではない」
しかし表現をすることは呼吸とからだを変えることである。それはからだにとってはやはり多かれ少なかれストレスになるだろう。いかに意識して現実と仮の世界を区分け出来たとしても。
「表現をしている自分」「それを見ている自分」がいる。「それを見ている自分」のなかには「ある目標に向かっている自分」があり、「表現が向上していく自分」がある。そして「そのことを喜んでいる自分」がいる。それがストレスの蓄積を防ぎ、新たなる自分を作っていくことになると考えている。
「胸がふさがる思い」
「胸が張り裂ける思い」
「歯を食いしばる」
「耳をそばだてる」
「はらわたが煮えくりかえる」
「断腸の思い」
「柳眉を逆立てる」
日本語にからだことばというのがある。上記はその1例。
感情と身体と同時に呼吸の状態を表す。感情によりからだと呼吸が占領された形である。
天才歌手あるいは歌謡界の女王といわれた身空ひばり。彼女の豊かな表現は呼吸とそれを支えた身体にある。演歌ー非日常的な感情を毎日表現しつづけた。故に非日常的なものが日常のものとなった。演歌的になった身体にとって毎日酒を浴びるほど飲まずにいられなかったのであろう。
カラオケにいって演歌に気持ちを託して大きな声で歌うことはストレスの発散になる。潜在意識がきれいになっていくことにつながる。
表現つまり演技が真に迫れば迫るほど身体にとって負担となる。潜在意識は現実と仮想との区別がつかないといわれている。そういう状態が何年も続けていくことは性格破綻につながる場合もあるということである。
筆者は語りの教室に出ている。
話をしても声が相手に届かない場合がしばしばあったからだが、やっているうちにこれはストレスの解放になるなと思った。大きな声を出すことが一つある。それと表現をするということは中に溜め込まれたもの発散する作用があると考えたからである。
肩が痛いと見えた患者さんを診たことがある。触ると右肩がコチンコチンだった。左の肩胛骨の下あたりも固い。整体の技をいろいろ試みたが効かない。かえって痛くなったという。そこで最近腹を立てられたことはないですか?」と聞いてみた。「実は1週間くらい前、怒鳴り込んできたお客さんがあり、逆に怒鳴りつけ追い返してしまった」お話を聞きながら肩をゆらしていた。するとオヤ、オヤオヤ、オヤオヤオヤと肩がやわらかくなってきたという経験がある。
イヤなことを思い浮かべる。それは「消えゆく思い」つまりストレス解放すると考えていた。ところが最近、全く逆の見方があることを発見した。それは次回。
電車でイチローの写真を見た。
顔がやや左よりではあったが鼻の縦のラインが真っ直ぐできれいであった。この写真はいい鼻をしている。さすが大リーグで大活躍しているだけのことはある。
腕っこきのカメラマンが撮ったいるのだろうが光の当たった鼻の線が見事である。この線が崩れない限りイチローの活躍は続くだろう。
難をいえばほんのわずか左眉・唇の左端・左頬が上向きに見えた。右半身に疲れが溜まり始めているのかもしれない。
声を出す前の息が表現に現れる。それは心の状況、あるいはちょっとイメージを思い浮かべただけ表現が変わってくる。
「これはお経の文句なんだから、怒ったような声はふさわしくない」
「若い女性なんだからそんな低い声では似合わないでしょう」
「もっと話しかけて」
「もっと距離感をとって」
「悲劇なんだから・・・・それじゃ明るすぎるでしょう」
「もっと怒って」
語りの教室での先生の寸評である。
適切な表現に笑いが生まれる。
心がかわると息がかわり身がかわる。
そして声がかわるのである。
「支えを作る」この表現は筆者は数年前まで知らなかった。
声を出す業界、例えば声楽・演劇等では常識らしい。
筆者は「
語りの教室で始めて教わった。支えが出来ないといい声が出ないし、声が出なければ表現以前の話になる。
息を吸い込んでそれをキープしつつ声を出す。息を如何にコントロールするかである。支えが出来ないと大きな声・高い声をだすとき声帯がムリがいきのどを痛める。
この教室での発声練習は支えを作るのに最適だと思っている。他ではどんなやり方をやっているかは知らない。
ここでは最初息を吸ってそれから息だけである文言をいいつづける。
やってみればわかるが息だけで数分やり続けるかなり大変なことである。それから今度はそれに声を乗せていく。
これをやっていると間違いなく声は出せるようになっていく。これは呼吸のコントロールが次第にうまくなってきたということである。
4/7
礼法教室の日、駅前の喫茶店に入ったら同じ教室の女性と一緒になった。お話しをしているとき「はあー」と2回ほど耳に手を当てた。よく聞こえないというシグナルである。小さなテーブルを挟んで座っているのに筆者の声が届かないのである。
会社員時代よく経験した。それで
語りの教室にいくようになり、「いい声ですね」といわれたことあった。この教室では簡単な体操と発声練習は全員一緒にやったあとは個人レッスンになる。先生がOKを出さないと次へすすめない。わずか数行の文章に5週も6週も掛かる場合もある。なんとか一回でパスできないかと思った。そうすると工夫もするし練習の時間も増える。次第に一回で次にすすめる回数が増えてきた。
そうなるとまた練習のさぼり癖が出てきた。当時はわずかでも毎日やっていたが今は毎日やっていない。教室では1回でパスしても普段練習をやっていないからだろう、支えが抜けやすくなっている。だから「はあー」と耳に手を当てられてしまった。声を出すということは身体の作業である。練習をすれば必ず声は出るようになる。さぼると支えが消えやすくなる。当然の話である。
弓をやっている方から聞いた。
最初は膝を伸ばし、形が身に付いてから膝をゆるめるのだそうだ。
しかし膝の固い方はそれでいいのだろうか?膝を伸ばすことと同時にゆるめることも平行してやった方がいいように思う。
ハイヒールを履き続けた方、せっかちで前重心の方は大変だろうな。
仰向けに寝ると足先が伸びている。足裏が床面に対して45度くらいの人は随分多い。
筆者は脚が固かった。それは普段の立ち方・歩き方に原因があった。
そう思って膝をゆるめるようここ一年くらいやってきた。
最近である。ようやく少しはゆるんできた。それがわかるようになった。ゆるんでこないと、ゆるんでいるかどうかわからない。
・
「遅ればせながら誕生日おめでとうございます」というお手紙をいただいた。封を開けながらオヤっと思った。背中が熱くなってくる。
中にはテレカと相川みつを風の書が入っていた。差し出した方が書いた物ではない。熱くなったのはその書のせいだった。どうも文そのものでなく別に強い気を封じ込んだらしい。
この相川みつを風の書は自分にはどうも強すぎる。
1週間ほど前にも別の方からいただいたのを調べた。こちらの方は和紙を使っている。改めてチエックをする。最初見たときは気がつかなかったが、これはやわらかい気が出ている。こっちはバランスを整えてくれる。
筆者は数年前まで鈍い男だった。それがこんな文章を書くようになった。自分でも驚くくらいだ。
うつ伏せで北枕で寝ると歪みが出てくる。
ところが南枕と書いた紙切れを背中でも胸にでも置くと歪みが出ない。
人は意識するだけで変わるということか?
今度は当人が知らないうちに南枕と書いた紙切れを背中に乗せた。
結果はやはり歪みが出ないのだ。
紙切れ一枚でこんなことになるなんて全くもってあやしい話である。
筆者がその紙切れを乗せたという行為、つまり筆者がその行為を認識したということがこういう現象を引き起こすらしい。
人と人、個体と個体はつながっている。
小泉八雲の作品の「耳なし芳一」がある。
鬼に狙われた芳一が体中に御札を貼って命は免れた。しかし御札を貼ってなかった耳は鬼にもって行かれたしまったというお話しである。
御札なんて迷信だとばかり考えてきたが、こいつは考えを改めずばなるまい。
木曜会に出席。旧知の〇〇さんが隣の席座られた。
彼は振り子をいつももっている。
「これの
意識指数、測ってくれますか」と頼んだ。ひざの上にカバンを置いて測る物をその上に乗せ振り子をゆらした。
「400ですね」
「えっ、そんな数字になりますか?」
筆者がミルクもどきとよぶコーヒーに入れる小さなプラスチックの容器に入ったミルクである。なんで?と思う。
会が終わって「もう一度、測らしてくれますか」とまた振り子をゆらした。
「30以下ですね。さっきはカバンの上でやったから、カバンの中身に影響されたかもしれませんね」
続いてレモンとパルスウイートも同じような数字になった。
筆者の測定は10以下だった。
意識指数自体が大分怪しい話である。物の意識指数を測るとなると更に怪しくなる。
筆者と彼との測定結果の差は何だろうか?
物に対する個人の相性・適性が影響しているのかなあ?
筆者はミルクアレルギーみたいになっているから敏感に反応しているかもしれない。それとも2人の精度の問題か?
それにしても30以下の食品では食品とは呼べない代物である。
触れただけで身体が歪んでくる。
何年前からかヘソを出してる若い女性を見かける。こんなのが流行るんだと思っていた。
最近はまともにヘソを見せているのはあまり見かけない。でもパンツのベルトがヘソ下5センチくらい、Tシャツ?の下がその位置に合わせている。
お腹がスースーするだろうになあ!
筆者の幼少の頃の写真で、金太郎さんのような腹巻きしたのがある。「腹を出していると雷さんにヘソを取られるよ」という表現が昔あった。お腹を冷やさないようにということだ。エネルギーの塊のような赤ちゃんでさえ冷やさないようにと気を配った。それを成長期を過ぎた20代の女性がヘソだしルックとは。
若い女性でお腹の固い方が割と多い。腸の働きが低下している。
普通、体温は36,5度といわれる。ところが体温は身体の部分部分で異なる。お腹が31度ということも多分にある。それをさらに冷やしたらどうなる?
腸の働きは当然低下する。便秘にもなるだろう。先日紹介した「
生活習慣病の新常識」には花粉症は腸の働き低下によるという。
今日の患者さんは33歳の女性、お腹が大変に固い「今年始めて花粉症になりました」由。
・お金が掛からない。
・短時間で済む。長いので60秒以内。
・特別の場所を必要としない。
・いい加減の方が効果が出やすい。
・がんばらない。
・寝ているだけでも効く。
・簡単で誰でも出来る。
・お年寄りにもOK.
・痛くない。
・楽に息が入ってくる。
・ゆがみが取れる。
・コリや痛みが消えていく。
・感覚がシャープになる。
・背骨の曲がりが取れてくる。
・身体がやわらかくなる。
・治療院にいかなくなる。
メッツ
松井稼頭央選手がまたも開幕初打席初ホ−ムランである。昨年も大リーグ移籍後の初出場先頭初打席初ホームランを打っている。
昨年の2月に大リーグにいっても相当に活躍すると書いている。
日本にいるときから注目している筆者はやったーと叫びたい気持ちである。
彼が活躍すると見た根拠は鼻と頭の位置が地面に対して垂直にある。そういう写真がよく眼に入るからである。彼はよほどバランス感覚がすぐれているに違いない。ケガをせず活躍されることを祈っている。
仰向けの場合は北枕がいい、うつ伏せの場合は南枕がいいと書いた。
それでは腋をを下にするとどうなるか?右側を下にしたとき左側をしたときでは呼吸の入り方が微妙に違う。当然ではあるが。2〜3日試してみた。やっていると感覚でその差がハッキリとしてくる。
腋を下にしたとき、床面との角度が一つのキーポイントである。うつ伏せに近いか仰向けに近いかである。右側を下にしようと左側を下にしようと仰向けにつまり胸が若干でも上向きの方が呼吸が入りやすくなる。
筆者の場合は右側が固い。右側が固いというのは左側に息が入りやすいということである。それは側臥位の場合どうなるのか?
右側を下にした場合、うつ伏せに近づくほど息は入りにくく出しにくい。仰向けに近づけると呼吸は楽になってくる。それは左側が楽になったということらしい。
左側を下にした場合、うつ伏せに近づけるとこれはやはりよくない。
仰向けに近づけるとこれは吸いにくい。普段働いている左側が圧迫されているからと思われる。
身体で感じたまま書いたのだが、うつ伏せは南枕でと書いたことと若干矛盾を感じている。この説明でいいのかなあ?
あるメルマガで花粉症はシャンプーが原因である書いていた。
花粉症の発生は1960年代でそれ以前には花粉症になる人はいなかった。そういわれればそうだなあ、確かに。同時にアトピー性皮膚炎の患者も急増している。それは化粧品の中で最も毒性の高いシャンプーが発売されたからだという。
シャンプーにかかわらず化粧品にいいものがほとんどないというのは既にわかっていた。EAVの測定ではっきりしている。
例のどでかいドラッグストアーに寄ってシャンプーをボデイダウジングでチエックした。
まったくもってよくない。触れた瞬間に身体がどんどん歪んでくる。これほどまでによくないとは。花粉症ぐらいで済めばいい方、もっともっとよくない病気になるだろうな。
こんな商品をよくつくるな!こんな商品よく売るなあ!こんな商品よく使うなあ! 一流といわれる会社がこんな商品を作って販売しているのである。
友人に自然化粧品の開発をやっている男がいる。彼に販売を頼まれている。彼の開発した化粧品なら少なくとも触れただけで身体が歪むことはない。身体にとってストレスを与えないということである。
今日は会場に使っている豊島勤労福祉会館の抽選日である。
9時前に入って番号札をもらう。その順番でもう一度番号札を取る。ダブル抽選になっている。集まった団体が130くらい。1枚余分の札が入っており最後に残った番号札の次からスタートする。筆者は1番札をとったのだが13番?がスタートになったので最後の方から12番目になってしました。
10人くらいの職員の方が手際よくすすめているけどもこれだけの人数だと2時間以上掛かってしまう。
その10人くらいの職員のなかで一人の女性の声が実にいい声だった。
よく響いてくる。彼女と待っているこっちの席とは随分距離がある。落ち着いた声が筆者の席までよく聞こえる。司会の男性はマイクを使っていたけれど彼女の声ははマイクなしでよく響いてくる。
ボイストレーニングをやっていらっしゃるのかな?
でも内緒話はできないだろうな。
よく響く声は身体が緊張していないということだ。身体全体が呼吸器官であるということはどこかに書いた。身体が固くて歪んでいればいい声は出ない。こういう声を聞いていると気分が落ち着いてくる。
TVドラマで「今日朝飯喰ってこなかったのは手を上げなさい」そしたら一人の生徒が手を上げた。「朝食べてこないものは朝練に参加させないぞ」と部活のコーチがいっている。
朝飯をちゃんとと取るべしという意見と、イヤ取ってはよくないという考えがある。筆者は朝飯を取らない方がいい派である。昔、天風会で午前中は排泄機能が主の時間帯であるので朝食は取らない方がよいと教わっている。
最近読んだ本「
生活習慣病に克つ新常識」という本がある。
この本では日本人は胃ガンが欧米の10倍と多いと書かれている。
食事が済んですぐ身体を動かす、運動あるいは労働ということになると、血液が胃に行かず筋肉の方に行ってしまう。それが消化活動を妨げ胃腸を傷つける、それが胃炎・胃潰瘍・十二指腸潰瘍になるのだという。
小中学生が朝礼で倒れるのも朝ご飯を食べてこないからでなく腸に問題がある。、それも食後すぐの勉強や運動によって胃酸の分泌が十分でないのでいつもお腹の調子が悪い由。
食後は休むべし。昼飯喰ってすぐキャッチボールやピンポンなどもってのほかである。仕事の前の食事は摂らないか軽く済ますべしである。
知人からFAXが届いた。
彼も膝痛で辛い時期があったがある健康食品でほぼ完治した。
ダメもとで試したらみたらいかがでしょうかとある。
昨年11月頃から始めた膝痛のための筋トレ・ワーク・体操の類は効いたり効かなかったりでくたびれて2月からは全くやっていないという。
健康食品が効くか効かないかは別にして、くたびれるまで運動をやるの?ナマケモノの筆者はやらないし続かない。日本人は頑張るのが好きである。TVドラマでもやたらに「がんばって」が出てくる。
筆者は「取りあえず痛みが取れればOK、歪みが取れればOK、少しでも楽になればいい」長くはやらないし強くはやらない。極めていい加減である。長年のコリや歪みがそんな簡単に取れるわけがない。コリや歪みはその人のくせである。くせが直せるのか?これだって直せないとはいわないが簡単に変わるわけがない。
筋トレ類を2か月止めていることが休養になっているのだろうととっている。くたびれたということは休養がなかった。休養がなければ直るわけがない。
くせがあるから歪みやコリを生ずる。膝痛や腰痛がまた出るだろう。毎日、短時間でいいからバランスを整えておく必要がある。
筆者の名刺を手の平に載せて暖かい名刺だといわれたことがある。
その当時の筆者は「?」だった。
EAVという器械のことは書いた。この器械は人と物との相性を数字で表示する。人の名刺でも測定できる。名刺を封筒に入れた状態でも器械は反応する。この器械はなにを測定しているのか?
名刺はその方とつながっている、その方自身?その方の持っている微妙な波動・気を封筒いりでも感知するらしい。警察犬が行方不明になった方の持ち物の匂いを頼り探索するのに似ている。
しかし人間の身体はEAVなんかよりはるかに精密にして優秀の筈である。ところが現実には筆者のように身体に悪さをするミルクもどきをコーヒーに入れて飲み続けてきている。手に持っただけで歪みが出るというのに。身体はわかっているのに脳はそれを認識できないでいる。いうまでもなく脳は身体の一部であるにもかかわらずである。脳と身体の再連結が必要である。身体ゆらしとボデイダウジングに希望を託している。
(川越長徳寺石碑)
つらいけど 峠を越せば 花の里
背中の固い人はうつ伏せで休むといい。
うつ伏せで休むときは南枕でと書いた。
その続きで、いささか怪しい話を書く。
南枕と紙切れに書いて背中に乗せて北枕うつ伏せで寝る。
結果は歪みが出ないのである。背中の固い整体師で実験した。
筆者も実験した。筆者は胸の下に置いた。歪みが出ないのだ。
南枕の文字を読み身体にくっつけることで意識のスイッチがはいるらしい。バンザイ検査・Oリングでテストすればはっきりとわかる。筆者はボデイダウジングでチエックする。
ことばや文字は意識の貯金箱である。人の身体は聞いて・見て反応する。