虎拉ぎ

日記転載

『術と呼べるほどのものへ』学習研究社 店甲野善紀さんの新刊に出てくる。

「とらひしぎ」と読みます。

書店で手にとって見るとこれが面白い。

危なく買いそうになった。

家の中のガラクタ整理を続けていて「「入る計って出ずるを制す」の反対「出るを計って入るを制す」を心がけています。

甲野さんの本は何冊も持っているし、買ってもいずれホコリを被らせることになると買うのを踏みとどまりました。

虎拉ぎ(とらひしぎ)、この本に出てくる甲野さんの新しい技の名前です。

いつもながらネーミングがうまい。

写真を見ると、親指を曲げて使っている。

親指は添え指で伸ばして使うモノと礼法で教わりました。

この虎拉ぎというのは固めて使うものらしい。

中国憲法にもこれと似た使い方があるという。



  いろんな治療法やら運動法があります。         
 それらがあなたのお身体に合っているでしょうか? 

 合っていれば少し宛日々改善されていきます。
 合っていなければ日々身体は固くなりゆがんできます。         
 
 その効果を確認する方法をお持ちでしょうか?           
 そのやさしいチエック方法を呼吸塾ではお伝えしております。
  


語りと朗読の会  「宮沢賢治を語らう」 

宮沢賢治の作品を台本として発声・表現・語り・朗読について勉強しています。
月二回木曜日10時~12時 



合気上げというのは?

「合気上げは競技ですか?」と日記の書き込まれた方がいる。
はじめてのニックネームをみて、全く合気など知らないお方かなと思ったら違った。

前にお手合わせしたことのある方である。
この方なら嫌みや皮肉で書き込んだのではないだろうしコメントを返す必要もないだろうと思った。

多分、筆者に対する注意喚起というかちょっと気を引いて見たところであろう。
だが時間が経つにつれて脳があれやこれや走り出した。

人間はお互い向かい合うと否応なく影響し合う。
合気上げの時、相手の影響で関節の抜けが消えたことがあるし、逆にこっちの影響で相手の方の関節が抜けたような状態になったこともあった。

合気上げは相手の影響を受けないで動けねばならないという面がある。
ところが年を取れば取るほど体験が豊富であればあるほど、身体は反応する。
他の武術やスポーツで鍛えてきた人もそうだ。

脳でわかっていても、身体に染みこんだ記憶というか潜在意識というのか、それが顔を出し反応する。
身体の記憶の入れ替え作業は簡単ではない。
千鍛万練ということばそのためにあるのかもしれない。

相手からの影響を受けない身体というのは、ニュートラル・中庸の身体と考えている。
具体的には、真っ直ぐな姿勢であって力み・緊張の抜けた身体である。

文字にすればそうなるが、脱力した身体・真っ直ぐな身体になれているかといえば、これも易しくはない。
骨盤、腰とハラの状況が密接に関係している。

相手から影響を受けない身体と書いたが、自分自身の気持ちというかこころの状況も左右される。
何か意図したときそれは腰とハラに即座に出てくる。
それは既にニュートラル・中庸の状態ではない。

もう一つのいい方、合気上げは自分自身を鏡にする稽古ということも出来よう。
脱力して我欲が消滅すれば諸事ことごとくよく見えてくることだろう。
だが一々反応していれば鏡はゆがんでくることになる。

入力不力

「入力不力
りきんだらダメ
たるんでもダメ
ちからをいれていきます

それがなかなか
むずかしいんだ
よなあ」

書家相田みつをさんの書にありました。

全く以て難しい。
姿勢に表現される。

こころの状態も身体の状態も姿勢に表現される。
礼法の先生、すごい先生だなと思ってきた。
だが最近はすごさが消えて来ている。

空気と一つになるというのか、空気を乱さない存在になってきている。
ウッカリしていると見過ごしてしまう。

こっちは足踏み状態、PCに向かって気がつくと左手で上体を支えている。
そんなことやらなければいいのだが気がつくとやっている。
ここのところズーッと続いている。お陰で左方が固くなり痛みさえ出てくる。

季節的な骨盤の影響かなと考えたこともある。
それもあるかもしれない。

多分、なにかやろうとしたとき身体が前傾する。
それがPCで文字入力しているときにも出てくると、いまは考えている。
合気上げの時もこれが出て失敗を繰り返していた。

身体の中の違和感を消していくと聞いてはいた。
それがやっと認識できたらしい。

だがまた左手で突っ張っている。
前傾姿勢を気がついたらその都度、修正を加えている。

いずれは修正を加える必要はなくなるだろうが、時間が掛かる。

意識を置くところ

「肩車 パパの耳は 操縦桿」という川柳がありました。
肩車したお子さんが耳を引っ張って行く先を指示している微笑ましい光景です。

頭は身体の最上部にあって5キロもあるといわれており、細い首の上に載っかっています。
わずかの傾きで全身が影響を受け背骨も曲がってきます。
これが求心性つまり重力の働きです。

一方、人間は二本足で立ちわずかな足裏の面積で全体重を支えています。
この支える力は地球の自転の力、つまり遠心性のちからなって全身に及びます。

この三次元世界にあっては、この求心性の力と遠心性の力の二つによって表現されているわけです。

昔は姿勢のことを両親や学校の先生がうるさくいっていました。
いまはほとんどいわれなくなっていまいました。

躾は日本で作られた文字ですが、筆者は「しつづける」それが躾といっています。
そうしなければ身につかないからです。

昔の人の写真を見ると大久保利通のようにいい姿勢もある。
ところが逆に背中が丸くなった写真も多い。

ダビテの像を見て育った目には一見、丸くなった背中は×に見える。
だが最近は丸くなった背中にも二通りあると考えるようになった。

だらんと力を抜けた姿勢と背筋に少々張りを保たせた場合の二通りである。
この背中の張りの持たせ方によって腰も腹も決まって来るようなき気がしている。

重心が丹田に収まり自然に意識がそこに行く感じがする。

センサー機能を磨く

先日「上半身の力みが抜けてくると上半身の感覚が目覚めてくる。
力みが抜けるにしたがいどうすれがいいかが判ってくる。」と書いた。

下半身も抜けてくるといいのだが、体重を受けている下半身の方は時間が掛かる。
身体の力みが抜けるに従いセンサーの働きがシャープになってくる。

超鈍感人間だったが、自分のなかではここ10年間で様変わりしたと思っている。
だが筆者などは足下に及びもつかない凄いセンサーをお持ちの方もいる。

比喩で太平洋戦争時のアメリカ軍のレーダーと日本軍の電波探知機ぐらいの差があるといったことがある。

太平洋戦争の時、各国はレーダーの開発に鎬を削っていた。
日本は同盟国のドイツにレーダーの技術をねだったらしいがヒットラーの厳命で断られたとか。

英国は研究が進んでいてドイツ空軍の空襲を撃退した。
だがチャーチルは自国での開発では限界があるとアメリカにそれまでの研究成果を提供した。
アメリカは即座に研究者を800人も集めて研究に取り組み高精度のものが完成し太平洋戦争末期には間に合った。

日本軍得意の夜戦・急襲も功を奏さず、特攻機も多くは目標到達前に撃墜される羽目とあいなった。日本軍が手に入れた資料にyagi ということばが何度出てくるもわからなかった。調べるとそれは日本人の発明である八木アンテナがレーダーに使われていたという。

日本軍も研究し一応は完成し使われてはいたが、精度や能力に劣っていいたのである。

身体に話を戻すと身体の力みが抜けるにしたがいこのセンサー機能が働き出す。
感覚を磨くというのは身体の力み、余計な張り・緊張をなくすということと考える。

過去の張りの集積がコリとなって残っている。
誰でもコリはあるし張りもある。それが身体を固めている。

固い身体がセンサー機能の低下を来していると考えてきたがそうとばかりはいえないようである。
直接、邪魔をしているのは現在・ただ今の張り・緊張らしい。